夜が来る!

 前書き

 以下の条件に当てはまる方は精神衛生上読まれない方がよろしいかと思います。

 1 「夜が来る!」というアリスソフトのゲーム後日談が元になっております。そんな訳で、さも当然のようにゲームのネタばれを多量に含んでおります。そういうのは困るというゲーム未体験者の方。
 2 嘘関西弁を多量に含んでますので、そういのは我慢ならんという関西圏出身又は在住の方。
 3 作者のオリジナルキャラが登場します、そういう異分子は排除すべしという原理主義者の方。
 4 登場人物がすべからずハッピーエンドを迎えないと、不快になるんじゃぼけ〜という方。


 序章  二つの世界

 息苦しく、それでいて生暖かい世界の中にその少女はいた。
 少女の物心ついた時には、その世界は揺ぎ無く存在し、その善悪を問わずありとあらゆるものから少女を守ろうとしていた。それは少女にとって当然の世界。暖かく、優しく、幸せに満ち満ちた世界だった。
 だが、時が経ち、少女は否応なく気が付く。
 その世界が決してあって当然な唯一無比な世界ではない事に。
 自分を繭のように包んでいる世界の外に、もっと広い世界がある事に。
 最初は単純な、誰もが抱くような好奇心だった。
 外の世界を見てみたい。そんな少女の自然な好奇心は、その世界に反発し反響する事もなく。ただ緩やかにどこかへと飲み込まれていった。
 気が付いた時には、その世界は彼女の手足を優しく、だがしっかりと拘束していた。
 少女は、自分の手足が腐っていく姿を幾度も幾度も思い浮かべた。
 助けて、とそう少女は言いたかった。
 だが、それを誰に言っていいのか少女にはわからかった。初めから誰も彼もが彼女を守っていたのだから。
 少女は願っていた。小さく縮こまりながら息を殺して。ただ、一心に自分をこの世界から連れ出してくれる存在の登場を。

 厳しく、そして冷たい世界の中に少女はいた。
 物心ついたときにはそうではなかった。だが、少女はその世界に放り出された。
 誰も彼も、少女にありとあらゆる苦痛と試練を与えた。それは、厳しい戒律としてある時は目に見えるものとして、またある時は目には見えない形でも少女を縛り付けていった。
 少女は自分の手足が幾度も傷ついていくのを見ていた。
 少女は自分の心が硬く閉ざされていくのを知っていた。
 それでも少女は、何も言わなかった。
 それが無駄だという事を少女自身が誰よりもわかっていたから。
 誰も自分を守ってくれる人などいない事を、必要としてくれる人などいない事を彼女は嫌というほど知っていたし、知らされていた。
 だからただ、一心に自分のなすべきことをこなしていた。
 自分が他者にとって必要な存在である事を示すために、他者が自分を必要としてくれる存在になるために。
 ただただ、他者のために。少女はありとあらゆるものを受入れていった。
 そして、少女は再び他の世界に放り出された。
 少女は願っていた。胸を張り、己を強く律して。ただ、一心に己がこの世界に必要とされる存在になれる事を。

 そして、時が経ち、幾たびかの夜が来ては去り、少女達の世界は再び交叉する。
 異形なる月が照らす、凍りついた蒼き夜の下で。


 夜が来る! 祁答院マコト  一章 ある食事の風景


 夜、空には二つの月が昇り地上をおぼろげに照らしていた。
 たった四年前には存在すらしなかったはずの、あるはずのない二つ目の月が今日も空に浮かぶ。
 多くの人々はその異形なる蒼き月を地球創生の頃から存在するかのように、日常という膨大な時間の流れの中何時しか馴染み疑う事を忘れていた。
 真なる月、「真月」と名付けられたその月に照らされて、今日もまた夜が来る。

 夜、どこにでもある単身用マンションの一室。
 一家団欒と言うには、皆一様に若すぎる三人が部屋の中央に置かれた食卓を囲んでいた。だが、その場の雰囲気はその言葉にふさわしい和らいだ空気が流れていた。
 各々の食卓の前には、ハンバーグにポテトサラダ、それにご飯と味噌汁といったこれぞ日本の夕飯とでもいうべき日洋ごった煮の食事が並んでいた。

「なあなあ、兄ちゃん。いいとこあるんやけど、いかへんか〜? 安くしとくで?」

 三人の中で一番若い金髪をポニーテールで結わえたキララが、食事にも手をつけず右手に掲げたチラシをぱしぱしと叩きながら、はきはきとした元気のいい関西弁で捲くし立てた。
 今年中学生にあがったばかりのキララの青色のデニムシャツに、ミニスカートといった姿はその整った容姿も相まってかなり可愛いはずなのだが、それ以上に勝気で活発そうな雰囲気が前面にでていて見た目の雰囲気を削いでいる感は否めなかった。

「・・・・キララ。そういう誤解を受ける言い方するなよ」

 その場で唯一の男性にして目の前に並んだ夕食の製作者でもある羽村亮は、ハンバーグの切り分け作業をしていた箸を止めると嫌そうに答えた。
 短髪に、二枚目という訳ではないが人好きのする柔和な童顔、その容姿には不似合いな大柄な体格は明らかに何らかの訓練を受けた形跡の伺える引き締まり方をしていた。その証拠のように両手の指には無骨な剣蛸が幾つも出来ていた。だが、それとは裏腹に彼が醸し出している雰囲気は年頃の男性にしてはひどく穏やかなものだった。

「ええやん。別に〜」

 キララは、可愛らしく口を尖らせて抗議する。

「あのなぁ」
「なあなあ、兄ちゃん。行こうや、なあなあ、ええやろ」
「・・・・キララ、あまり亮に迷惑をかけるものではない」

 それまで黙って箸を進めていたも女性、祁答院マコトが食事そっちのけで羽村に詰め寄っていたキララを穏やかに嗜めた。
 キララとはまた違った印象ながら整った容姿にはまるで化粧化がなく、長く腰まで伸びた髪もあまり手を入れた様子もない。
 羽村と並んでも遜色がないほど大柄な体格にTシャツとジーパンを纏っていた。女性特有の曲線を持った体は、強く引き締まっていて、一目で何かしらの訓練を受けた者である事がわかった。今年、羽村と同じ高校三年生に上がったばかりだが、すでに円熟した大人の女性の雰囲気を醸し出していた。
 キララは、羽村とマコトを「姉ちゃん」「兄ちゃん」と呼んでいるが、この三人に血の繋がりはない。順序としては、マコトがキララを預かり、それに羽村が加わり、この風変わりな家族が形成されていた。
 その為、食卓こそ一緒に囲んでいるが三人で暮らしている訳ではない。今三人がいるこの部屋は元々羽村一人の部屋で、マコトとキララは羽村の部屋の隣に部屋を借りて二人で暮らしていた。
 もっとも、今となってはほぼ毎日のようにどちらかの部屋で食事をとったりと行き来しているので、ほぼ二部屋で同居しているのと変わらない状況を呈していた。

「う〜〜、だって、見てやこれ。半額やで半額。しかも、明日限定。これは行かない手はないやろ〜」

 そういって、キララは手にもったチラシをばしばしと叩く。
 チラシには、紙面の半分以上を使ってでかでかと「開店セール。当日限り、全機種半額」と書かれていた。羽村は、そのチラシの右隅に簡単に描かれている地図に目を向けた。学校からもさして遠くない見覚えのある駅ビルの地下一階を指し示していた。

「ゲームセンターねぇ」

 羽村は少し考えてうめくようにそう言った。
 彼の生活は高校2年に上がるとほぼ同時期に一変していた。それまでは、暇つぶしにと足を運ぶ事もあったのだがここ一年ばかりは忙しくゲームセンターに行っている余裕はまるでなかった。だから、そのチラシに映っている機種はどれも見覚えのないものばかりだった。
 羽村としては行くのはいいとしても、今の機種についていけるかどうか少々不安を覚えた。

「キララ」

 そんな羽村の姿に、マコトが先程より少し強めにキララを嗜めた。

「なぁなぁ〜、姉ちゃんはこういう所苦手やねん。ここ中学生一人じゃ入れんし、兄ちゃん一緒にいったってや〜」

 マコトの言葉に少々たじろぎながらもキララは、羽村に詰め寄った。
 確かに、羽村にしてもオセロすらしないようなマコトがゲームセンターで楽しく遊んでいる図というのはどうにも想像ができなかった。それでも、キララに頼まれれば、ゲームセンターに一緒に行くぐらいするのだろうが、あの喧騒に満ちたゲームセンターという場所にマコトが馴染むとも思えなかった。

「……まあ、いいか。これといって明日は予定もないから」

 羽村は、そこそ埋まっているスケジュールを思い浮かべ先約がない事を確認してそう答えた。
 そもそも、自分で言ったとおり中学一年生のキララが一人でゲームセンターに入店する事はできないはずなのだが、その程度の障害でゲームセンターをキララが諦めるとは羽村には到底思えなかった。まだ見ず知らずの間柄の頃に羽村は、成り行きの事とはいえお好み焼きをたかられた経験があるのだ。
 今となってはそんな無茶はしないとは思うし、キララを信じてもいるのだが、少なからず少女の保護者を自認する羽村としては放って置く訳にもいかなかった。

「ほんま?!」

 その一言に、キララの顔がぱあっと明るく輝く。

「いいのか? 亮」
「ああ、別にいいぜ。俺もゲームセンターなんて久しぶりだし、何と言っても半額なんだろ?」

 心配そうに問い掛けてくるマコトに、羽村は気楽に答えた。

「さすが兄ちゃん、話がわかるわ〜」
「感謝する、亮」

 何だかんだ言ってもキララには甘いマコトも、ようやっと嬉しそうに食事に手をつけ始めた少女の姿に安心したように優しく微笑みながらそう言った。

「いいって」

 たかがゲームセンターへの引率を引き受けただけで、大仰に感謝する二人に亮は、むずがゆそうに笑いながらそう答えた。

「そういえば、皆どうしてん?」
「うん、みんなって?」
「決まってるやんか、天文部の姉ちゃんと兄ちゃん達や」

 体格も雰囲気もまったく合っていないが、羽村とマコトは高校で天文部に所属していた。羽村にいたっては、前部長が卒業した事を受けて、他に人がいないという身も蓋もない理由で二年次から所属したにも関わらず部長を務めてもいた。
 キララも以前その伝手でよく部室に出入りしており、一時期には部室に入り浸り状態で部員と遊びに行くなど親しく付き合っていた。

「ああ、そういえばキララ。最近、こっち来てないもんな」
「そうや〜」

 この春、本格的にこちらの中学に入学したキララは、それまでの各地を転々とするような腰掛の状態とは違うのかすがに色々と忙しいらしくあまり顔を見せなくなっていた。

「皆、元気にしている」
「それじゃあ、わからんて。姉ちゃん」

 恐ろしく簡潔にそう評したマコトに、馴れた様子でキララが笑いながら突っ込みを入れた。

「いずみさんは、大学に行ってるから一週間に一回顔見せるくらいかなぁ〜。鏡花の奴は、仕事の方が忙しいらしくてあんまり顔見せなくなったな。百(モモ)と真言美ちゃんは同じように頑張ってくれてるよ。新開さんと星川からはこの間手紙が届いたぞ」

 どう答えたものかと、ちょっと困ったように顔を顰めたマコトの代わりに、羽村がそんな二人の様子に苦笑を浮かべながら答えた。
 羽村とマコトにとって皆、高校の部活動の部員という間柄だけでは決して語れない人々。言葉にするなら、戦友とでもいうのが一番ニュアンス的にはあっているのかもしれない。

「ふ〜ん、皆元気にやっとんな。……で、どうなん。あの二人つきおうとんのん?」

 キララが、厭らしく顔をにやつかせてわざとらしく声を潜めると、羽村に耳打ちをした。

「うん、百と真言美ちゃんか? どうなんだろうな〜、そんな感じがする時もあるんだけど。どう思う、マコトは?」

 キララの二人という言葉に、すぐに二人の後輩、百こと百瀬壮一と三輪坂真言美を指している事に羽村は気が付いたが、その二人が付き合っているかどうか? という事になると簡単に答えはでなかった。
 羽村は二人の間に他の部員とは違う親密な雰囲気があるように感じられる事があった。だから、今までのことを鑑みても付き合っていても特におかしいとも以外だとも思わない。だが、同時にそれが親しい友人としての間柄を越えるものかどうか? という事になると羽村は断言もできなかった。元々、そういった男女の機微に自分が聡い方ではない事ぐらいは、羽村も気が付いていた。

「二人共、着実に腕を上げている。特に、百瀬の方は背が伸びたのもあって格段に進歩している」
「いや、そういう事じゃなくてさ」

 話を振られたマコトは、どこか嬉しそうにそう二人を評した。
 マコトは、他の仲間以上に百瀬にまた違った意味で親近感を抱いていた。羽村もその事は知っていたし、それゆえ彼女の性格上百瀬に対して評価が厳しくなっている事もまた承知していた。そのマコトが嬉しそうに百瀬をそう評したのが、本来の問いとは明らかに違った答えながら単純に羽村には嬉しかった。

「あかんて、姉ちゃんにそないな事聞いても」

 本当に何の事かわからない様子で首を傾げるマコトに、キララが何かしら耳打ちするとさらにマコトは困ったように顔を顰めた。どうやら、真剣に二人が付き合っているのかどうか考え込んでしまったらしい。羽村は、苦笑いをご飯と共に飲み下しながら、マコトがいかなる答えを出すのか待つのだった。

 それは、どこにでもあるような食事風景。しかし、それこそ羽村とマコトが何より望み、あの凍りついた悲しき夜を乗り越えて手に入れた風景だった。

                                                続く