火魅子伝 外記 志野伝

 前書き

 このSSは小説版『火魅子伝』を題材としていますが、設定はゲームのものも混在して都合の良いだけ引っ張ってきているというかなりいい加減なSSです。 また、『火魅子炎戦記』は本作には含まれません。申し訳ありません。
 また、このSSは当初ジャンクとして書いたものを伸ばしたものです。その為、前に書いたものとかなり重複した部分があります。
 その辺、お気をつけくださいませ。


 火魅子伝 外記 志野伝


 耶牟原城の楼上から眼下に広がる街並みはもう深夜になるというのに無数にかがり火が焚かれていた。城下では今まさに祭りの真っ最中なのだ。
 煌々と放たれる祭りのひかりも、楼上からは風にさらわれて朧に瞬いて見えた。
 そのひかりの中からは人々のかがり火にも負けない明るく活気に満ちた声が届いてきて、城下の人々が今の状況を心から楽しんでいる事がわかった。
 この一週間あまり、耶牟原城下ではそんなお祭りが続いていた。
 それも無理のない話で、もう何年も続いていた狗根国の脅威は去り、祖国の復興を果たしてまだ幾日も経っていない。
 また、この時代「祭り」は同時に「政り」でもあり、内外に新生耶麻台国の復興をより印象付けるために新生耶麻台国が意図的に盛り上げてもいる、という側面もあった。
「……はぁ」
 そんな事が理屈ではわかってはいても、彼女は自分の口から出る憂鬱なため息を止める事ができなかった。
 上等な渡来の絹で出来たと思しき胡服に身を包み、腰まで伸びた髪が靡く姿は男性だけとはいわず同姓の女性の羨望をも集めるのに充分な姿であろう。だが、その表情はどこか憂いを帯び優れない。もっとも、そんな表情すら、彼女の容姿と醸し出す雰囲気の前では、えも言われる色気に転じてしまう。
 彼女こそ元火魅子候補にして復興の英雄が一人、志野その人であった。
 本来なら、元旅回りの劇団長であり優秀な踊り子でもある志野は祭りの先頭を切って盛り上げるべき人物であるはずなのだが、彼女は体調が優れないという言い訳を残し、祭りからいち早く退散していた。
 彼女自身嬉しくない訳では決してない。今の状況を思い起こす時一番に競り上がってくるのは歓喜と誇りである事は間違いない。それでも、復興から一週間という月日が立ち、彼女がその熱狂から醒めた時感じたのはどうしようもない躊躇いだった。  耶麻台国が復興して全てが万事うまくいったはずだった。
 そして、前から決めていた事だったはずだった、すべてが終わればここから黙って出て行こう、と。
 耶麻台国での王族も将軍の地位もさして価値のあるものではなかった。だから、それを捨てる事に未練の欠片も無かったはずだった。
 なのに、今。こうして、耶牟原城の楼上に立ち眼下に広がる熱狂を見るとその決意は眼下に広がる無数のかがり火のように揺らいでいた。
「よっ、座長って。いやいや、志野様こんな所にいらしたんですかい?」
「織部姉さん」
 志野が振り向くと、楼上の入り口から大柄で野性的な雰囲気を漂わせた美女が彼女に歩み寄って来ていた。
 元志野の劇団の団員である織部は、素肌に下帯と胸当ての上に肩から上着を羽織っただけという露出度の高い姿をしていた。またよく見ると、体には砂を被っている所があった。城下の祭りで、彼女の十八番の演目である「脱衣相撲」で活躍してきたのだろう。
「おいおい、もう姉さんもねえだろう」
 織部は困ったように、頭を掻きながら苦笑を浮かべた。
 耶麻台国が復興した今、火魅子にはなれなかったとはいえ志野がれっきとした王族であることは間違いのない事実だった。本来、無頼の芸人の一員である織部が気安く話ができる身分ではない。
「やめてください、……お願いですから」
 だが、志野はそんな織部の姿に自分は祭りの途中で抜け出してしまった負い目も合わさって寂しそうに顔を伏せた。
「やれやれ、しけた顔してるねぇ」
「ごめんなさい、織部姉さんにまで心配をかけてしまって」
「ああ、そんな事気にしなくていいよ。で、どうしたんだい? 九峪様に別れ話でも切り出されのかい?」
「織部姉さん!!」
 織部の言葉に、思わず志野の語気が上がった。
「かわいいねぇ〜〜、座長」
「もう、人が真剣に悩んでいるのに」
 にやにやと、意地の悪い猫のような笑いを浮かべながらからかう織部を見ながら志野が、織部の言葉に平静を装えない自分を自覚しない訳にはいかなかった。
 九峪雅比古、「神の御遣い」にして「復興の英雄」。
 本来なら、個人的な感情を抱いて良い人物ではないはずなのだが、志野はもう随分と前から自分の中に巣食っているどうしようもない感情に気がついていた。
 だが、今はそれも志野の苦悩を深める一つの要因ともなっていた。
 今ならまだ、それに蓋をして畏敬とか尊敬といったものにすり替えてしまう事はできるはずだと思っていた。なのに、その事で少しばかりからかわれただけで狼狽してしまう自分もいる事に志野は困惑を覚えずにはいられなかった。
 結局のところ、志野自身それをしっかりと見極める事ができずにいた。
「わりぃわりぃ」
 それっきり二人共言葉を失ってしまったのかのように黙り込んでしまった。
 織部を含め志野の座員は皆、志野がここ数日の間塞ぎ込んでいたのを知っていて最近何くれとなく話かけてくれていた。志野は自分の想いを、今まで自分の妹のような存在である珠洲以外は話た事はなかったが、さすがに付き合いの長い元座員は察してくれているようだった。
「……まあ、何だね。あんまり溜め込むのもよくないね」
「わかってはいんですけど」
「よし、わかった。気分転換といこう」
 織部は、それまでの表情を一変させると、手を打ち鳴らしてそう言った。
「……気分転換?」
「はははは、まあ、この織部姉さんに任せてなさい」
「……はぁ?」
 豪快に笑いながらその場から立ち去る織部に、志野は曖昧な返事をしてその後姿を見送ったのだった。

「……本当によかったのかしら?」
 馬に揺られながら、志野が不安に駆られたようにそう呟いた。
「いいっていいって、ちょっとくらい城を抜けたって問題ないって」
 その横で、やはり馬に揺られている織部が志野の独り言を聞きつけて気楽にそう答えた。
「そうかしら?」
 志野は、どこか納得がいかないように眉間に皺を寄せてそう答える。
 志野と織部の後ろには、やはり馬上の人となっている珠洲に続き、馬車が二台続いている。つまり元志野劇団が全員ついてきていた。
 あの晩織部が言い出した気分転換というのは、耶牟原城を抜け出して一公演開こうというものだった。
 織部がその夜のうちにこの話を他の団員に持ちかけると、皆嬉しそうに一つ返事で賛成し、あっという間にしまっておいたはずの昔の劇団道具を揃い集めてみせた。そして、次の日の早朝にはあまりの展開の速さに戸惑う志野を耶牟原城外に連れ出していたのだった。
「それに、亜衣にもちゃんと出かけてくるって言っておいたからね」
「……はぁ」
 ちなみに、この織部の主張する亜衣への報告というのは、あの後たまたま廊下ですれ違った彼女に向けて、「ちょっと、みんなと出かけてくるよ」と声をかけだけなのだ。もちろん織部はそんな事は億尾にも出さない。
「どうしたんだい、珠洲。いつもの元気がないじゃないか?」
 織部は強引にでも話題を逸らそうと後ろに振り返り、今まで黙ってついてきていた珠洲にそう問いかけた。
 普段なら、目の前で志野と普通に話しているだけでなんとか邪魔しようと話に割り込んでくるはずの珠洲が今日に限っては何故か何も言わず、大人しく二人についてきていた。
「……うるさい」
 珠洲は、織部と視線を合わせようともせず呟く。織部も織部で、そんな珠洲の態度に馴れっこで何も言わず志野に向けて首をすくめてみせた。
「ほんとにどうしたの、珠洲?」
 志野が、馬の速度を緩め珠洲の馬に合わせた。
 例外的に常に志野にだけは、愛想と機嫌がいいはずの珠洲が城を出立する以前から微妙に自分を避けているような気がして、志野は気にかけていた。
 まだ狗根国の脅威が覚めやらぬ頃に、珠洲にだけは話していたその頃の決意が彼女をも悩ましているのではないかと気がかりだった。
 そもそも、珠洲は以前から志野が王族としての待遇を受け入れないのを不満に思っている節があった。
 その日寝る場所に困り、見世物として各地を転々とする芸人に生活より、王族として安定した暮らしをする方が良いと考えるのは、志野を大事に思えば当たり前の話ではあるのだ。
「なんでもない、大丈夫」
「そう」
 そう言ったきり口を噤んでしまった珠洲に、志野は心配そうな視線をおくるが珍しく珠洲の方からその視線を外しそれっきり黙り込んでしまった。
 志野一座が公演をうつ条件を満たした村を見つけるのは、そこそこ手間がかかった。  大きすぎては志野達の素性がばれてしまうかも知れない、かといって小さすぎては小遣い稼ぎにもならない。
 朝早く耶牟原城を出て、ようやく条件に合う村を見つけ出した時にはもう夕刻を迎えようとしていた頃であった。もっとも、一座を向かい入れてくれた村は想像以上に一座を歓迎してくれた。
 城から離れた小さな村にも、祖国解放の余波は確実に行き渡っていたのだった。
 それは、志野を始めとして耶麻台国開放に大きく貢献した一座の心を熱くするのには充分だった。
 村の中央に、簡易な見世物小屋をこしらえ、かがり火を灯すとそれだけで、さらに志野の心は浮き立った。
 何度なく、攻め落とした城でこうやって座を開いてきたがやはり純粋に劇を行うのとはまた奥行きが違うものだというのを志野は身もって感じていた。
 それは、他の団員も同じようで皆生き生きとそれぞれの役割を果たしていた。もっとも、その中でもやはり珠洲だけはどこか気乗りしてないような風で志野で気を揉んだのだが、それ以外を除けば順調に準備は進められた。
 夜のとばりが落ちるのと、並行するように予定通り幕が開かれた。
 幕の前には、村そのものを凝縮したかのように老若男女が皆それぞれに食べ物や飲み物を持ったり、会話をしながら座っていた。
 幕が開くと織部の定番の相撲に始まり、各座員の得意の芸が披露される度に歓声とお捻りが飛びかった。懸案であった珠洲も人形くくりも、無難にこなし志野は座長として胸を撫で下ろしたのだった。
 そして、とりを勤めるは無論志野の剣舞である。
   どこか心配そうに見送る劇団員達に微笑みながら軽く手を振って、志野は静まり返った舞台の中央に立った。
 目の前に広がる淡い闇と、そこからこちらを見つめる何十本もの視線に、志野は自分の血液と言う血液が生き生きと活性化してくるのがわかった。それは、戦闘に赴く前に酷く似通っていたが同時に大きく異なってもいた。
 まるで、その血液に急かされるように体が、というより志野の形を象っている一つ一つの微細な部分が興奮し自分が動き出すのを息を必死に殺して待ちわびていた。
 だから、志野は自分の背後から聞こえてきた音楽にただ体が望むように身を任せてやればよかった。
 鼓笛の天にも届くような高い音共に腕が伸び、太鼓の弾むような音に任せて扇情的に腰が動くと観客から歓声と体に纏わりつくような視線を強く感じる。それが、さらに志野の体を加速させた。
 手足は、のびやかに動き、体は宙を舞う。常に体を縛り付けている力をそこにはない。ただ、軽やかに志野は思うがまま飛び、動く。そして、それは自然に舞となる。手にもった細身の刀身に光が宿り、それがさらに舞台と舞を彩る。
 もちろん、剣舞にも基本の所作があり志野も当然それにのっとて体を動かしているのだが。そこから、自然と半歩いや指先だけ自分が踏み出していた。それが、志野には純粋に楽しい。
 肢体から飛ぶ、汗の雫が周りのかがり火の光を映し出し、志野の肢体を煌びやかに、艶かしく彩る。
「……ああっ」
 思わず志野の口から、葉の上から落ちる朝露が自らの重みに耐えかねて落ちるように甘美な声が零れ落ちた。
 抑える事の出来ない衝動。あまりに甘美で、純粋で、完成された歓喜。体の芯の部分を侵食するような麻薬にも似た陶酔感。
 そして、不意に音が止む。自然とそこに働いていた力もなくなり志野の体もゆっくりと枝に降りた小鳥のように舞台に降りる。
 刹那の戸惑いと、巨大な失望感を志野を否応なく捉える。
 そして、その代わりに一瞬遅れて聞こえる歓声と拍手に志野は笑い手を振って答えた。
「よっ、座長。吹っ切れたみたいだね」
「ええ、ありがとう。織部姉さん」
 舞台袖に戻ると、織部が布を放り投げてくれた。志野は滴り落ちる汗を拭いながら、久方ぶりに屈託なく笑い返して小屋から出た。
 火照った体に、夜風が気持ちよく掛かって、志野は無意識のうちに誰かを探すかのように辺りを見回していた。
 舞台裏にはかがり火の光も届かないどんよりとした春の夜に包まれていた。勿論、辺りには人影一つない。
 そこで、初めて志野は満足感と幸福感に満たされていたはずの自分の心に、微かに物足りなさを覚えているのに気が付いた。
 何かが足りなかった。舞台は完璧だった。踊りも観衆も充分以上に満足できるものだった。
(……私は、何を?)
 まるで忘れ物をしてきてしまったような戸惑い。と、以前にも感じた事があるような寂しさ。
 だが、志野がそれをしっかりと見極めるようとする思考は、不意に背中に突き刺さった視線によって阻まれ、微かな戸惑いもそれと同時に霧散してしまう。
 振り向くと、珠洲がこちらをやはり無言で見ていた。
「……珠洲、どうしたの?」
「……っ。……何でもない」
 一瞬、大きく開けかけた珠洲の口は思い直したように閉じ、あからさまに視線をそらせ少しの逡巡を経てそっけなくそれだけ言うと、珠洲が舞台へと一人戻って行こうとした。
「珠洲。どうしたの?」
 そんな珠洲の様子にたまらず、志野は強引に彼女の小さな肩を掴み引き戻した。
「何でもない」
 珠洲は、乱暴に肩を掴んでいた志野を手を振り払った。そして、下を向き蚊の泣くような声でそう呟いた。
「ねぇ、聞いて、珠洲。私ね、やっと決心がついた」
 自分の決心を誰よりもまず珠洲に聞いて欲しかった。だが、言いかけた瞬間珠洲が激しく首を横に振るって志野の言葉を止めた。
「珠洲?」
「私は、私は、志野に……」
 面を上げた珠洲の顔はぐにゃりと歪んでいた。それは、泣いているようにも見えたし、怒っている様にも見えた。
「私に?」
「なんでもない」
 志野の問いに一瞬言葉を詰まらせて、また顔を伏せると物を投げつけるかのように珠洲は困惑した志野に言葉を叩き付けた。
「珠洲? 待って」
 再び珠洲が身を振り返す、今度は志野の手は届かず。珠洲の小さな体は夜の闇に消えていってしまった。

 興行を終え、耶牟原城に戻る間、志野は何とか珠洲と接触を図ったが、残念ながらそれは全て不調のまま終わった。
 珠洲は露骨なまでに志野と一定の距離を保ち、視線すら合わせようとしなかった。その代わり、志野が視線を外した時はずっと、自分の体に突き刺さるような視線を感じていた。
 志野も志野で、どうしても昨晩の珠洲の顔を思い出すと強引に珠洲と接触を取る事が出来なかった。
「志野様、九峪様がお呼びでございます」
 耶牟原城に戻った志野を待っていたのは九峪からの召還を携えた小姓だった。
 その早急さに織部や劇団員が身を強張らせた。
 たかが、一日とはいえほぼ無断で城を空けたのだ、何らかの処罰が下されてもおかしくない。それを多少なりとも覚悟を決めてはいたのだが、そのあまりの早急さに事が自分達が思っていたより大事に発展している可能性に不安にかられた。
「はい、わかりました」
 その中で一人志野だけはいつもの柔らかな笑みを浮かべそう返答を返した。 「……団長。俺も行こうか?」
 言い出しっぺである織部が心配げに眉をひそめ、そう言った。
 だが、志野はそれを無言のまま笑顔で断った。
 たった一つ珠洲の事が気にはなっていたが、もう、ありとあらゆる意味で彼女の覚悟は決まっていた。
 自分が叱責を受けるのはかまわないし、責任を取るつもりだった。だが、自分のために骨を折ってくれた織部をはじめとして劇団員が何らかの罰を受けるのをだけは避けなければいけなかった。
「失礼いたします、九峪様」
 志野は、奥まった一室の前で足を止めると、一言扉の前で断ってゆっくりと扉を開けた。
「ああ、志野。うん、ええっと、その、そこに座ってくれるかな」
 部屋の中では、一人の男性が床机に座っていた。
 座っているので今ひとつ分からないが、背が高く量感にあふれた体つきをしている。顔は、まだ多少幼さを残しているが眼には幼い容貌とは裏腹な意思の強さが見て取れるだろう。
 彼こそ、復興軍を率い誰もが無理だと思われていた耶麻台国復興を成し遂げた英雄にして神の御遣い九峪雅比古その人であった。
「はい」
 志野はそこですぐに、自分が叱責で呼ばれた訳ではないことを確信した。
 少なくても彼女が知る限り、九峪という人物は処罰や決定を下すとき、こういった曖昧な態度をとったり躊躇をするような人間ではなかった。
「ええっと、その、お茶飲むか?」
 九峪は何時になくそわそわと落ち着かず、部屋を歩くとなぜかそこだけ綺麗に片付けられていた机の上から急須を取り出すと、馴れない手つきでお茶をいれた。
「はぁ? 頂きます」
 志野は、神の御遣いがじきじきに煎れたお茶を物珍しそうに少々眺めてから、上品に口に含んだ。
「ええっと、その、だなぁ、実は今日志野に折り入って話があるんだ」
 志野がお茶を一杯飲み終えるのを待って、少々時間をおいて妙に落ち着かない風情の九峪はそう切り出した。
「……そうですか。実は私も九峪様にお話があったんです」
 志野も、茶碗を置くと微笑んでそう言った。
 彼女は、九峪の顔を見ても自分の決意に揺らぎのない事を確認して安堵を覚えていた。
 もちろん、そこに何のわだかまりや拘りがない訳ではない。それは歴然として彼女を胸を (ただ対面で腰を下ろしているというだけの状況であるにも関わらず) じりじりと焦してはいた。
 ただ、それも昨日の晩に感じた体の芯の部分を揺さぶるような喜びの前にはどうしようもなく無力だった、というだけにすぎないのだから。
 だから、言える。忘れる事ができる、と志野はあれから自らにそう何度も何度も言い聞かせてきた。
「話、うん、そうか、いや、先に俺が話してもいいかな?」
 落ち着いた志野とは、反対に九峪の様子は明らかにおかしかった。志野の言葉に慌てたようにそう言う。
「ええ、それは勿論」
 志野は、ちょっと小首を傾げた。  別に話が後先になるのは構わなかったが、九峪が自分の意見をごり押すような態度が珍しかった。
「うん、ごほん。 実はさ、志野に折り入って頼みがあるんだ」
 九峪は、自らを落ち着けるように一つ咳払いをすると居住まいを直してそう言った。
「頼みですか?」
「そう、そうなんだ。これから新しい国を造っていく上でさ。どうしても、しっかりとした諜報組織を作りたいと思ってたんだ。それで、その長をぜひとも志野に頼みたいんだ」
「……諜報組織の長、ですか?」
 九峪の突然の申し出に志野はただ言葉を繰り返す。
「うん、そうなんだ。ぜひとも、志野にと思って」
「ですが、そういった仕事は他に適任者がいるように思いますが」
 志野は、戸惑ってそう答えた。
 諜報部隊という事は、乱破や山人といった特殊な技能を持つ人間をすべる事になる。そうなれば、初めから乱破としての訓練を受けている清瑞や山人として生活していた伊万里の方が適役であるように思えたからだった。
「そう、そうなんだ。最初は、清瑞の奴に任せようと思ってたんだけどさ。あいつが、言うに事欠いて「私は、手のかかる神の御遣いの護衛で手一杯です」とか言って断ってきたんだ。それで、どうしようか、と思ってたら、藤那いや火魅子様がさ、「それだったら、志野が適任だ」って言うんだ」
 志野の疑問に、我が意を得たと言わんばかりに九峪は早口にそうまくし立てた。
「……火魅子様がですか」
 それには志野にも覚えがあった。
 まだ、自分が何者かも知らず、ただ座長の仇を討つためだけに活動していて、藤那と初めてあった頃の話だ。
(確か、城に潜り込む所を覗き見されていて、そのせいで藤那様を殺そうとしたんだっけ)
 志野は、余計な事まで思い出してそっと苦笑をかみ殺した。
「そうそうなんだよ。何でも、二人が復興軍に参加する前に志野の腕前を見てるらしくてさ。それで、志野だったら大丈夫だって太鼓判押してるんだ。それに、ほら、志野はさ。劇団を率いてるじゃないか。劇団だったら、他国にもどこにでも比較的楽に潜入できるだろ」
 この時代、娯楽が極端に少ない事もあって劇団はどんな国、都市でも歓迎されていた。しかも、芸人が相手という事もあり人物検査も荷物検査も比較的ゆるいのが通常であった。
「ええ、まあ」
「うんうん、正直、そんな仕事に就いてもらうとなると、将軍の仕事も降りてもらわないといけないし、王族である事をできるだけ隠してもらわないと駄目だし、色々と国々を飛び回ってもらわないといけなくなるから頼み難かったんだけどさ。もし、よかったら引き受けてくれないな。これ、この通り」
 九峪が、頭を深々と下げた。
 志野は、その九峪の姿を複雑な思いで眺めていた。目の前にいる人の腰の低さは、これまで嫌というほど見てきたので、それほどもう驚かった。
(でも、こんな姿誰かに見られたらどうするつもりなのかしら?)
 志野は、もう一度苦笑を噛み殺した。
 昔からの仲間ならいいが、何もしらない人が見たらさぞやありもしない妄想をかきたてさせる場面だろう。
(でも、本当にこの人には驚かされぱなし。どうやったら、こんな事思いつくのかしら)
 ここ数日の志野の様子を聞いて、ここに残りながら志野も満足できる見事な折衷案を捻り出した九峪に志野は素直に感心と驚きを感じた。
「……わかりました。お引き受けいたします」
「ほ、ほんとうか、いや、助かるよ〜」
 一拍置いた志野の返答に、九峪は顔を輝かせた。
「……何と言っても、火魅子様と九峪様の御二人に直々にお願いされたら、さすがに断れませんから」
「えっ、そ、そうかな」
 あえてにこりと邪気のない笑みでそう答える志野の言葉に九峪の顔が引きつり、汗が一滴流れ落ちていく。
「お話はそれだけでしょうか」
「えっ、ああ、そ、そうかな。うん。詳しい段取りはまた今度ということで」
「それでは、これで」
「ああ、その、え〜と、志野?」
 立ち上がりかけた志野に、視線をそらしたまま九峪がどこかわざとらしく白々しい口調でそう切り出した。
「なんですか、九峪様?」
 胸の中で、苦笑を噛み殺したまま志野はあえて平然として答えた。
「ええっと、その志野の話はいいのかな?」
「ええ、もう済んでしまいましたから」
 志野は、あくまで眼を合わせようとはしない九峪ににこりと笑いかけてそう言った。
 もう二年もの間付き合ってきたのだ、あと少し予定を先延ばしにして悪いという事はないはずだ、と志野は思う。
(それに、あの子もそれを望んでいるみたいだし)
 彼女の顔を思い浮かべながら、志野は自分が内にある気持ちをあえて確かめないのいるのに気が付いていた。
 あの時、あの場所で感じてしまった。どうしようもない寂しさと、物足りなさ。  それを、見極めてしまうと今までのような曖昧な態度で踏みとどまる事など出来そうにも無かったからだった。
「そ、そう、それはよかった」
 志野の答えの裏に隠されたそんな苦悩も知らず、九峪はほっとしたようにため息をついた。
「九峪様」
 それはちょっとした悪戯心だった。もしかしたら、自分の内にとぐろを巻いている気持ちが溢れ出してしまったものだったかもしれないが、志野はそれをちょっとした悪戯心である事にした。
「は、はい」
「私、ちょっと期待してたんですよ」
 志野は、声に微笑を乗せてそう呟くように囁いた。まったく、女性でも蕩けそうな声だった。
「き、期待?」
 もちろん健全な若者である九峪も顔を真っ赤に染め、声を上ずらせた。
「ええ、そうです。でも、今はこれで充分です」
 いつか、多分きっとそれは、近いうちにこんなものでは足りなくなる。満足できない自分に気が付いてしまった今、こんな曖昧なもので収まりがつくようなものではないのだから。それでも今は、まだ。
(……これで充分よね)
 そう、志野は己に確認するようにそっと呟く。
「ええっと、その、それは」
「では、これで失礼します」
 面白いぐらい狼狽する九峪に、それ以上言葉を続けさせる事無く、志野は思いをそっと秘めたままその場を後にしたのだった。

「……珠洲、いるんでしょ?」
 九峪の部屋から、少し離れて志野は誰もいない廊下でそう言った。
「…………」
 柱の影から、小さな人影が姿を表した。拗ねた様にそっぽを向いた珠洲が立っていた。
 少女が、全てを見ていた事は疑う余地がなかった。
「馬鹿なんだから」
 志野は、珠洲に歩み寄るとその小さな体を抱きしめた。珠洲も逆らわなかった。だが、あくまで視線は合わせようとはせず志野の細い腰をしっかりと自分の腕で抱きしめる。
「……馬鹿でいいもん」
 志野は、拗ねた珠洲の言葉を聞きながら今はただ、自分が必要とされているこの幸せを噛み締めていた。


                                                        〜終〜


  後書き

 最近書いてなかった火魅子伝のリハビリも兼ねた小ネタです。
 まあ、あくまで小ネタなんで前書いたのと整合がつかない所があるかと思いますが許したってください。
 あと、これは個人的にRさんに押し付け、もとい差し上げたいと思います。心当りのある方、もらったってください(笑)

  増補版のための後書き

「つう訳で後書きです、どんどんぱふぱふ〜」
「……兎音伝は?」
「ぎくっ」
「……次は兎音伝になるって、あんた忌瀬伝の後書きで言ってたわよね」
「いや、その、ほら、ねっ。色々とあるんですよ」
「……色々? つうか、リクエスト受けてからもう一年以上過ぎてるんだけど。その色々とやらは一年かけても解決できないようなものなのかしら?」
「えっ、その、あの、ほら」
「えい」
「……ぐっ」
「さすがに、一本拳で喉つくとむせるわね」
「げほっ、けっほ、げっ」
「あらあらあら〜、喉仏潰れなくてよかったわね〜、幸運だぞ、この〜。普通は血反吐の一つも吐かせるんだぞ〜」
「……すいません。唾液って、すっぱいんですね」
「そうね〜、でも、そんな感じを覚えるだけあんたは、し・あ・わ・せ・も・の。……死んだら、もう何も感じないんだからね」
「…………」
「お〜い、日魅子」
「何よ、下僕?」
「……いや、俺一応主人公なんだけど」
「知らないわよ、そんなの。ここでは、私が主役、主人、神。……まだ、知らなかったかしら?」
「いや、もう、それでいいです、はい」
「わかればいいのよ、で、何よ?」
「いや、高野の奴。立ったまま白目剥いて気絶してるぜ」
「あらまあ。軟弱だ事」
「……いや、その、まあ、全部この馬鹿が悪い訳で何も言わないけどな。お前ちょっとキャラ変わりすぎだろ」
「あら〜、何か文句がおあり?」
「ぎくっ、いや、ないない。文句なんて欠片もない」
「あっそ、それじゃま。さっさと進めて行きしょ。あんた今回高野の代わりしなさい」
「へっ? いいのか」
「いいのか、も何も。他にいないでしょ」
「そ、そうだな。あ、うん。え〜、おほん、うんうん」
「……何、緊張してるのよ」
「い、いや〜、これまで、後書きっていえば、殴られたれぶたれたり蹴られたり凹まされたり……」
「遠い目してないで、ちゃっちゃっと進めないさい」
「そうだな。え〜と、今回は志野伝になったわけでが」
「お茶濁しでしょ」
「いつもながらばっさりだな」
「だって、そうでしょ。何自分のSSのリメイクって。そんなことする暇あんなら兎音伝書きゃあいいじゃない」
「まあ、そりゃあそうなんだけどさ。なんかこう、前のだと志野伝とか言うわりに志野の出番が少なすぎだからなぁ」
「知らないわよ、私以外のヒロインの扱いなんて」
「身も蓋もねぇなぁ。ま、まあ、お前はそうなんだろうけどな。え、えと、あとだな、志野の本来の姿である踊り子としての姿を書きたかったらしいな、こいつは」
「その割にはラストがうにゃむにゃね」
「そ、そりゃまぁなぁ。ここで出て行かれるとそれこそ整合性がなさすぎだろ」
「毎回毎回、思いつきで書いてるからでしょ」
「……あ、あと、で最初に出た兎音伝だけどな。書いてないわけじゃないみたいだな」
「そりゃあそうでしょ、書いてなかったら切腹じゃすまないわよ。そりゃもう色々と」
「いちいち突っ込まないが、まあ色々だろうなぁ」
「そりゃあ、色々よ」
「うん、何か高野の体小刻みに震えてないか?」
「さあねぇ、さて、今回はこれくらいかしら?」
「ええっと、今回の添削はN君ズの一人にお願いしたそうだ。ここで、お礼を申し上げたい、だってさ」
「硬いわね」
「まあ、なあ。ええっと、じゃあ今回はこれでお開きと言う事で。……え〜と、日魅子さんこの肩に置かれた手は何ですか?」
「あら、最初に言ったでしょ。あんた高野の代わりしなさいって」
「へっ? あれは司会の話じゃあ」
「な〜に、ど甘いこと言ってんのよ。オチはちゃんとつけないとね〜」
「いやぇおぅえぇええ」
「大丈夫、やさしくしてあ・げ・る」
「うそだ〜〜」

                                               終

「……次回こそは兎音伝のはずです、多分」
「あら、起きたの、高野。じゃあ、あんたもこっちへ来なさい」
「へっ! いやぇあああ」


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