火魅子伝 外記 音羽伝
二年もの間九洲全土に吹き荒れた戦火は、火魅子候補の一人藤那が火魅子の座に戴冠した事で終息を向かえた。
九洲は十数年に渡る他国からの支配を退け自らの宗社を取り戻し、全土には歓喜が満ち溢れた。だが、歓喜から覚めた人々は、すぐに自分達の前に蓄積された問題の多さと大きさを思い知らさたのだった。
長い戦火は国土の多くを荒廃させ、国土を治めるべき多くの人命が失われていた。国を収めるべき新生耶麻台国はまだ国家としては若く、充分な復興策を打つ事ができなかった。
人々を待ち受けていたものは、望んだ平安や平和とは程遠いものであったのだ。
それでも、苦難苦闘に満ちた半年が経ち戦火の記憶もようやっと人々の記憶から遠のき始めた今、新生耶麻台国が国としての体制が整いつつあり、じょじょにではあるが国はようやく本来の姿を取り戻しつつあった。
人里から離れた緑深い小山の中腹を風変わりな二人組みが歩いている。
その場には不似合いな重々しい甲冑を身に纏った男性と見紛うばかりの大柄な女性が先頭を歩いている。彼女は手に持った人の背丈ほどもある巨大な槍を軽がると振るい、険しく細い獣道に生い茂った木や草を切り開きながら、しっかりとした足取りで道なき道を歩いていく。
そんな彼女の三歩ほど後ろ、女が切り開いた道をとぼとぼと胡服風の奇妙な服を着た男性が続いている。男は背こそ高いものの、目の前を歩く女性には到底敵わない貧弱な体格をしているせいか、歩く足元はおぼつかず、息も上がり、今にもその場にへたり込まんばかりに顔面を蒼白にしていた。
「お〜い、まだ、なのかよ〜」
男が、切れ切れの情けない声で先を歩く女性に声を掛けた。
「もう少しですよ、あとほんの少しです」
もう何度も同じようなやりとりをしているのだろう、前を歩く女性がうんざりした声でやや投げ遣りに答えた。
「……お前達の”あと少し”は当てにならないんだよ」
男こと九峪雅比古は、数時間前のやりとりを思い出しながらうめいたのだった。
九峪と火魅子藤那一行は、地方視察を兼ねた豪族折衝の為九洲南西部に出向いていた。
新生耶麻台国と地方豪族達との相性は、建国当時から良いとはいえないものだった。
新生耶麻台国の地方豪族に対する態度は、「敬して遠ざける」の一言に尽きた。女王たる火魅子藤那にしても国の頭脳たる亜衣にしても、自分達の力でようやっと復興させた国をそれまで指を咥えて見ているだけだった豪族達に渡してやるほどお人好しではなかった。
彼女達は復興軍の軍事力を背景に、手練手管を使い群がってくる地方豪族の多くを国政の表舞台から追いやった。彼女達には、それだけの国政への自負と自信を持っていた。だが、時が進み自分たちの目の前に立ちふさがる問題の大きさを自覚するにつれ、それが間違いであった事を悟らずにはいられない状況に陥っていった。
占領時代であれば何でも軍事力による締め上げと脅迫で従わせる事ができた地方も、正当な国府を自称する以上そう乱暴な事ができる訳もない。それでなくても、建国したばかりで指揮命令形態すらまともに整っていない状況で、いくら中央で彼女たちが復興策を出しても、地方の末端の村落どころか各地方都市ですら布告が行き渡らないという事態を引き起こしていた。結果、地方ごとに非常に硬化した状況を一部作り出してしまっていた。
今回の折衝は、そんな状況を緩和させるためにも、態度が硬化している一部の豪族を取り込むという重要な役割を帯びた物だった。だが、その折衝はそんな当初の目論見を覆して実にあっけなく終わった。
国政から遠ざけられて不満気味だった豪族達が、直接出向いてきた火魅子こと藤那と神の御遣い九峪の姿を目の辺りにした瞬間に態度を態度を一変させたからだ。
火魅子と神の御遣いを目の当たりにする事で、豪族達の中には感動のあまり泣き出す者まで出る始末なのだから折衝など何の意味もなかった。ほとんど思うがままの提案を飲ませ終わると後はもう、連日連夜の折衝という名の宴会と化していった。
こういった展開は大歓迎の藤那はともかく、政治上の折衝など始めての経験でそれなりに覚悟を決めてこの地に赴いていた九峪にしてみれば肩透かしもいいところだった。
その場を思う存分酒を呑めて満足そうな藤那に任せて、大抵の場合九峪はそうそうに宴会場を後にして自室にあてがわれた部屋でする事も無く過ごすのが常となっていた。
「お暇ですか? 九峪様」
その日も九峪は自分にあてがわれた上等な部屋でする事もなくふてくされて寝転んでいた。そんな所に訪れたのは、親衛隊隊長としてこの場に同行してきていた音羽だった。
「ああ、暇で死にそうだ」
九峪は、大儀そうに起き上がりながらそう呟く。
そんな九峪とは対照的に、音羽は折り目正しく座るとそう切り出した。
「では、どうです? これから、清端と演習で使う土地に下見に行くのですが、御一緒なさいますか?」
近く地方豪族をよりよく国に組み込むための云わば恫喝を兼ねて耶麻台国軍で行う演習が予定されており、その候補地が今滞在している城の近くにある小山を中心にした一角だった。本来なら、一行に同行している清端が一人下見を行う予定だったのだが、音羽なりに主賓たる九峪が仏頂面をしていたのでは、この先何かと差し障りがあるのではないかと思っての気を回したのだった。
「……そうだなぁ」
九峪は、逡巡するように視線を空中に泳がせたが、実のところ話を聞いた瞬間にすでに腹は決まっていた。
ある程度化けの皮が剥がれている耶牟原城内ならともかく、こういった所にくれば神の御遣いとしてのあらたまった態度が求められる。そのせいもあって、いいかげん九峪にもストレスも溜まっていた。正直な話、九峪にはここから離れらればそれだけでありがたかった。
そんな訳で、護衛の清端も連れ立って三人は城を出たのだが、ここからが九峪の誤算の始まりだった。
当初九峪は当然のように馬を駆るつもりだったのだが、演習地全体を見渡すためには開けた小山の中腹までは登らなければならず途中から馬を使う事はできなくなってしまったのだ。
そもそもにおいて、小山といっても現代の様に不気味なくらい整然と木が植えられてる訳もなく、しっかりとした山道ができているわけでもない。いたるところに、木や草が生い茂り、石がごろごろとしているのだ。いくら音羽が先頭を歩き、道を作ってくれているといっても九峪は文字通り這いずる様に進む事しか出来なかった。
「ここが、合流地点という事になります、九峪様」
予定の三倍以上の時間をかけて大きく森が開けた山の中腹に立った時には、九峪は両足はすでに限界を迎えたいたらしく、その場に文字通り崩れ落ちるように腰を下ろした。
「はぁはぁはぁ……、で、大丈夫なんだろ?」
「ええ、あそこなら後続の輜重部隊も問題ないでしょうから」
音羽は山の麓に広がる演習予定地を見渡しながら地図を片手に指し示す。だが、九峪といえば目の前に広がる演習地を見ようともせずお座なりに答えた。
音羽は、もうすでに疲労で威厳も糞もない神の御遣いを出来るだけその姿を視界に入れないようにわざと遠くを見ながら答える。もし見たら、自分の中の九峪への尊敬の念とか忠義心が揺らぎそうで仕方なかった。
「まあ、音羽がそう言うなら大丈夫なんだろうな」
「恐れ入ります」
慇懃に音羽が答える。投げ遣りな言葉だろうがなんだろうが、一応神の御使いである九峪に信頼されて嬉しくないはずがない。
「じゃあ、これで終わりだな」
「はい、特には」
「それで、清端はいつ合流するんだ?」
九峪が、当然ここにいるはずの人間の名前を口にした。
当初は三人で出発したのだが、途中清端はあまりにペースが遅い九峪に呆れ果て合流地点を決めるとさっさと一人で先に進んでいた。実は下見の予定地は山一つ向うにもう一つあり、本来は小山の頂上まで登り全体を確認する予定だったのだ。
「……さぁ?」
音羽が今度こそ困った様にそう答える。
「さぁって」
「一応、ここで落ち合う事になっていますが……いつと言われましても」
この時代当然だが、時計といった正確に時間を刻む物などはない。大抵は日の浮き沈みによってある程度の目安をつけるのだが、それも現代人の九峪からすると相当にいい加減なものだった。
「はぁ……、そうだよなぁ。じゃあ、ここでゆっくりと待つか」
九峪はがくっと肩を落としてうめく様に呟く。
「それでいいんですか?」
「いいよ、いいよ。後は清端が見て周るだろうからさ」
生真面目な音羽に、九峪はやる気なさそうに手を振るだけだった。
「……はぁ。そうでしょうか?」
「いいからいいから」
訝しがる音羽を尻目に、九峪はさっさと木陰に腰を下ろしてしまう。まさか九峪一人をそこに残して行くわけにもいかず仕方なく音羽もそれにならった。
一息ついてみると見上げる空は晴れ渡り、風が心地よく吹きぬけ、湧き出た汗を拭ってくれるようで心地がよい天気だった。難を言うなら座った地面は固く、草が剥き出しの肌にちくちくと刺さり気持ちが悪いが九峪としては、城を出てようやっと一息がつけたような気分だった。
どれだけ、ぼ〜っと座っていただろうか、九峪がふと隣に目を向けると音羽がバツが悪そうに地面に腰を下ろしている。生真面目な音羽としては、こうやってただ座っているというのが居心地が悪いのだろう。
「そういえばこの辺りなんだろ、音羽の故郷って」
九峪が不意にふと思い出した様にそう尋ねた。
実はここが演習地の候補地に選ばれたのも、音羽がこの地方の地理に明るかったというのも大きく働いた結果だった。
「……そうですね、そうなります」
音羽は少しの沈黙の後、そう答えた。
「……?」
「何か?」
自分の顔をまじまじと覗き込んで来る九峪にそう居心地が悪そうに尋ねた。
「いや、随分と奥歯に物が挟まったような言い方だなと思って」
「そうでしょうか」
「まあ、いいや。言いたくないなら、それでも」
「そういう訳ではないですが」
音羽は、不貞腐れたようにその場にごろりと横になった九峪に、困った様にそう答える。
「ふ〜ん」
九峪は、音羽に顔を向けず不機嫌そうな声を上げた。
「……お知りになりたいですか?」
「そうだなぁ、もし聞かせてくれるなら聞いてもいいぞ」
そこで、はじめて九峪は音羽の方に振り向くと、大人をやり込めた悪童のようににやりと笑みを浮べた。
「くすっ、それではお聞かせしましょうか?」
音羽は笑う。音羽自身、久しぶりに仕事から解放されて気分も楽になっていたのかもしれない。体を吹きぬけて行く心地よい風も背中を押しているように思えた。
そう、少しばかり長い話を始めるにはいいのかもしれないと、音羽はゆっくりと言葉を紡ぎ出して行った。
耶牟原城が落ちたのは、私の背がまだ今の自分の膝位しかなかった頃でした。
私と母はその頃、父を残し戦火を逃れ父の故郷である和潮城下に居をかまえていました。各地の戦場を転戦する父とは、もう数年来顔すら合わせてはいませんでしたが、その父が目を血走らせて家に帰ってきたのです。
父は帰ってくるなり、驚く私達を前に玄関口でただ一言、「……敗れた」と言いました。
勿論、子供の私には何の事なのかまるでわからなかったのですが、母にはそれですべて通じたようで次の日には荷物はまとめられ母の実家の郷に移り住む事が決まっていました。
両親は私に何も言ってはくれませんでしたが、実際の所は和潮城の城主を務めていた豪族が周囲の反対を押しきってあっさりと狗根国に降伏したそうです。
一時はそのせいで城内で、降伏派と抗戦派で一戦交えるかという所まで事態は差し迫ったそうですが、結局抗戦派が城を出る代りに降伏派はそれを追わないという事で話がまとまったそうです。当然その抗戦派の中には、一軍の将として狗根国相手に各地を転戦していた私の父も含まれていました。
私は、山と海に挟まれた母の里が大好きでしたから、無邪気にその引越しを喜んでいました。ただ、父を始めとして母も回りの大人達が皆ずっと厳しい、今にも怒り出しそうな顔で黙り込んでいたのがわかったので、嬉しさを顔に出さない様にするのが大変だった事を覚えています。
辿りついた里は、年端もいかない子供にもわかるようなぴりぴりとした雰囲気に包まれた和潮城下とはまるで違い。戦時下だというのに、まるでここだけ切り離された様にとても穏やかな空気が流れていました。
私は単純にその事を喜びましたし、母も実家に戻ってきてほっとしているように見えました。ただ、父だけは違っていました。
父は生粋の武人でしたから、そんな風に里で安楽に暮らしている自分の事も我慢がなかったんだと思います。
その後、狗根国の支配が九洲全土に広まると母の里も、いち早く狗根国の支配を受け入れてしまいました。もちろん表向きにですが、言われた通りに昔からのからの神を棄て新しい神を祭り、重くなった税も従順に納め始めたのです。
今を生きていくには仕方がない選択だったと思います。
少なくても、里の人の多くがそう思っていました。 周りでは狗根国の支配を受けれない村や里は次々と潰されて行きましたし、散発的に起きる反乱もすべて狗根国によって蟻を踏み殺すようにその死体すら残さず潰されていましたから。里の人達は、現実的な選択を受け入れざるをおえなかったのです。
こう言っては何ですが、私は今でも里の人々の判断が間違っていたとは思えません。もちろん、狗根国に反抗し耶麻台国に操を立て続けてくれた人々がいたからこそ、耶麻台国が復興できたわけですが。誰もが誰も英雄になれるわけではありませんから。
ただ、やはり父だけは違っていました。
一人最後まで、里の会合では抗戦への気勢を上げ続けましたが。いくら元耶麻台国将軍とはいえ所詮、父は最近移り住んだ新参者にしかすぎません。里全体の決定を覆すには至りませんでした。
そんな状態のまま一年経ち、ニ年が経ち。狗根国の支配が日常的なものに変わりつつあった中でも、父だけはいつまでも諦めませんでした。暇さえあれば里の集会では気勢を上げ、防具の手入れし、もくもくと槍を振るっていました。
気がつけば、同年代の男の子より背も体も大きくなっていた私も槍の練習に狩り出されるようになっていました。里でも慎重で面白みのない長老達の意見より、幾人かの血気盛んな里の若者は父の威勢のよい意見に引かれたのでしょう。父に槍の手ほどきを受ける若者が出てくるようになっていました。
そんな姿に里の長老や大人達はいい顔を勿論しませんでしたが無理に止めに入ることはありませんでした。少なくても、そんな時代だったのです、腕に覚えがないよりはあった方がいいと考えていたのかもしれません。
そんな父に母はといえば一切口出しはしませんでした。ですが、私が男の混じって槍を振るう事だけはいくら体が大きいといってもいい顔をしませんでした。
もっとも私は槍の鍛錬は体を動かす事が好きでしたしまったく苦になりませんでした。私は一人、年の離れた男の中に混じりながら、普段は寡黙で厳格な父が話かけてくれたりするのが嬉しくて、まともな女が習う手習いもそっちのけで槍の修行に精を出していました。その当時父が、本当に笑うのは槍の手ほどきをしている時か、昔の話をする時だけでしたから。
もっとも、私が父の話に共感していたかといえば正直そうではありませんでした。
特にいつか狗根国を打倒し耶麻台国を復興するんだという話になると、私には絵空事にしか聞こえませんでした。それぐらい、狗根国の支配は当時圧倒的なものでした。
そんなある日、日向の方で大きな反乱が起きたという報が郷に届けられました。
王族や多くの旧臣達もが参加した本格的なものだという話には里全体が沸き立ちました。当然、父も目の色を変えて長にいくばかりでもいいから里からも兵を出すように直談判をしていました。
それまで慎重だった長も王族という言葉に決心したのでしょう。ついには里を上げて、支援する事を約束してくれました。
その結果、先発隊としてまず父を含め10人の若者が復興軍に参加するために旅立つ事になりました。
父はそれはもう、晴れがましい思いで一杯だったのでしょう。普段は見せない嬉しそうな顔をしていたことを覚えています。
出立の支度を終えた父は家宝の鎧を身につけ、槍を手にした父は子供の私からみても凛々しく雄々しい耶麻台国の将軍に見えて、私自身晴れがましい思いでいっぱいになったものです。
出立する時、父は私の頭に手を置くとたった一言。 「行って来る」 とだけ言い残して、意気揚揚と旅立って行きました。
ですが、その結末は実にあっけないものでした。
父と10人の若者が出立して一ヶ月の経たない内に、その一報が郷に届けられました。そして、郷全体が言葉を失いました。
復興軍は幾つかの砦を抜き、一つ目の城に迫った所で本腰をいれた狗根国の本軍に一敗地に塗れたのです。総大将を務めていた(これも後にわかったのですが、王族というのは真っ赤な偽者でした)男は処刑され。寄せ集めの軍の大半は討ち取られたというのです。
それまで、戦に赴いた男達の安否を話あっていた人々も、誰一人として戦場に行った男達の安否を気遣う声も完全に絶え、里全体が声を亡くした様に静まり返ってしまいました。
誰もが狗根国の追求が、この里にまで及ぶ事を恐れていました。私自身、父の安否を気遣いながらもやはり恐ろしかったです。幾晩も、眠れぬ夜を過ごしました。
その一報が届けられてから、さらに数日が経って父とたった三人の男達が酷い有様で郷に戻ってきました。 剣折れ、矢尽きる其のままの姿でした。全身を血と泥で染め、一人は右腕を肘から失い、もう一人は右足をそっくり失っていました。父は、幸福な事に五体満足な姿でしたが、最初母も私も一目ではわからないほど憔悴しきった顔つきで帰ってきていました。
戦について、里の者は誰一人として父を責めませんでした。そればかりか、三人の男達を連れ帰った父を褒め称えたのです。
父は戦について、自身の事については誰に何を聞かれても何一つ語りませんでした。ただ、連れて行って帰ってこられなかった残りの若者の親にだけは、彼らがいかに勇敢だったか素晴らしかったかを朴訥と語っていました。
戦から帰った父は、長の元に直談判をする事を止めました。それをばかりか耶麻台国の話をする事すら意図的に避けるようになっていました。
それを除けば父は以前とは違う所は表面上見つける事は出来なかったでしょう。畑仕事に精を出し、槍の練習をし、父は生来寡黙ながら里の人々と酒を飲み語らいました。中には、戦の話をしなくなり以前より付き易く、明るくなったと感じる者たちもいたと思います。
でも、私は知っていました。父は、確実に変わっていたのです。家の中では、黙り何か考え込んでいる時間が少しずつ増えていきました。酒量も増え、槍の鍛錬にも身が入ってはいないように見受けられました。
そして、何より恐ろしいのは夜中でした。
父は、真夜中によく弾かれたように起き出すのです。全身をぐっしょりと濡らすほどの汗をかき、今まで見たこともない恐ろしい表情で目をみはると、何も無い空中を睨むのです。そして、槍を取り一人外にでると朝日がその姿を現すまで見えない相手に幾度も幾度も槍を突き立てていました。
私も、父が起きるその度に目を覚ましていました。ですが、そんな父に声をかけることも出来ずただ布団を頭までかぶり、朝が来るのをビュンビュンという父の振る槍が闇夜を切裂く音を聞きながら訳も無く振るえる体を抱え込んで朝日が上るのを待つ事しか出来ませんでした。
私はただただ恐ろしかったんです。父がまるで、何かとてつもない物にとり憑かれてしまったように思えました。
そんな息を詰めるような日々が何ヶ月か過ぎて、忌まわしい年が終わろうとしていた頃でした。父が忽然と消えてしまったのは。
朝起きると、父はもういませんでした。
父は何一つ持たず消えました。自慢の槍も、大事にしていた家宝の鎧すら持たず消えてしまったのです。
当初は何か遠出の狩りにでも出かけただろうと思っていました。もちろん、それまでそんな事ありませんでし、そもそも狩りの道具も家には残っていたのですから。明らかに異常な話でした。ですが、他に何一つ考えられませんでした。
5日が経ち、10日が過ぎ、ついには季節が変わっても父は戻っては来ませんでした。郷の人が里山で事故にでもあったのではないかと総出で探してくれましたが、結局父は見つかりませんでした。
私はその間何も出来ず、ただ呆然としていました。ただ、訳がわかりませんでした。
口さがない里の者の間ではまことしやかに父の行方が噂されていました。「山のどこかで自決しているに違いない」と言う人もあれば、「いや、またどこかの反乱軍に加わり、時期を見ているんだ」という者もいました。中には「大陸に渡ったのではないか」などという突拍子もない事を言い出す者もさえいました。
さすがに私が直接耳にした訳ではありません、裏では「逃げ出したのさ」とせせら笑う者もいたそうです。
ですが、どれもこれも私にはピンときませんでした。私には、あれだけの事があっても父が死ぬとは考えられませんでしたし、逃げだすなんてもっと考えられない事でした。
そこには、父という現実感だけがすっぽりと抜き落ちている様に思えました。興味本位で何人かの人は私と母の元に来て父の行方を聞きてきたり、話をふる者もいましたが、母も私も沈黙を守ることしかできませんでした。
母は、その後数年して亡くなりましたが、最後まで父について何一つ語らず、愚痴すらこぼしませんでした。もしかしたら、母だけは全てを知っていたのかもしれないと今になってみると思います。
それから、さらに数年が経ち、ようやっと父と反乱軍の話が思い出話になろうとしていた頃、再び反乱軍が立ち上がったという話が里にもたらされました。今度は、ただの王族ではなく火魅子の資質を持つ王族が参加しているという話です。そればかりか神の御遣いが率いているとも。
いくつかの砦が落とされた後でも、郷の人々は話を信じ様とはしませんでした。昔の苦い記憶が皆を疑心暗鬼にしていたのです。
でも、その時私の腹は決まっていました。
私が反乱軍に参加すると聞いて、郷の人達は驚き止めてくれました。私はそれまで槍の修行こそ怠りませんでしたが、その手の話を好んでする様なことはせず、淡々と暮らしていましたからよけい驚いたのでしょう。
皆、口にこそ出しませんでしたが、父の姿が脳裏には浮かんでいたと思います。
私は里の人々の好意を嬉しく思ってはいましたが決意を変えるつもりはありませんでした。最後には私の決意が固いと知るや、里の若者の幾人かは付いて来てくれるとさえ申し出てくれましたが、私はそれをすべて断りました。
正直、私は王族も火魅子候補も神の御遣いという話も信じてはいませんでした。そもそも、耶麻台国が復興するなんて事自体考えてもいませんでした。
狗根国の支配が始まって十五年です、そんなに短い時間では在りません。支配は過酷なものでしたが、それは半ば日常化しつつある事実です。それが、一朝一夕で変わるなんて考えたりはしません。
結局の所、それは私の耶麻台国将軍の娘という肩書きへの義務感であり、自己満足にしかすぎない事を自覚していました。それを果たせば何か自分の中で終わらせる事が出来るのではないかと、そう思えたのです。
ですが、それはあまりにも個人的な事です。そんな物の為に平和に暮らしている里の人達を戦にを巻き込むわけにはいきませんでした。
こうして、私はさして憎くも無い狗根国兵と切り合う事だけを考えて復興軍に身を投じたのです。そして、父の残した鎧を身につけていた事から偶然にも伊雅様に見出され、九峪様の親衛隊長に抜擢され、私の人生はうねりを上げて変わって行きました。
ここから、先は九峪様も御存知でしょう?
……里には一度も戻ってはいません。何故かは、よく私にもわかりません。戻れない理由なんて一つもないんですが……。
音羽は話し終えて、風が止んでいることに気づいた。
こんな事を話したのは、九峪がはじめてだった。元々、音羽は多弁な質ではない。それに、身内の恥の話でもある。耶麻台国の人達には話しづらかった。
後悔がないわけではなかったが、それでも音羽はどこか話せた事に満足も覚えていた。
「……音羽、ちょっといい」
それまでほとんど合図も打たず話を聞き終えた九峪は、音羽を手招きした。
「なんですか」
不信に思いながら音羽は、九峪に近づいて腰を下ろした。九峪は、それを待ち受けていたようにひょいっと綺麗に並べられた音羽の両膝の上に自分の頭を乗せた。
「極楽極楽〜、いや〜下硬くってさ〜」
九峪は、音羽の膝の上で笑っておどけてみせる。
「く、九峪様」
音羽は、まさか自分の膝にのっている九峪の頭を地面に振るい落とすわけにもいかず、自分の顔のすぐ下に置かれた九峪の顔に羞恥のあまり顔を真っ赤に染めて視線を外した。
「……あのさ」
少しの逡巡の後、九峪は笑みを引っ込めると神妙に口を開いた。
「な、何ですか?」
「音羽はさ……。親父さんの事恨んでるのか……」
「……いえ、そういうわけではありません。ただ、結局私は父を理解する事ができなかったというのが少し残念なだけです」
音羽は、少しの沈黙の後そう言って首を振った。
音羽自身、父について自分がどう考えてるのかよくわからないかった。どうしようもなく父が哀しく思える時もあれば、ただただ困惑しか感じない時もある。
なぜ、父は何一つ思いを自分に打ち明けてはくれなかったのだろうか。なぜ、それを抱えたままいなくなってしまったのか、答えはでないままだった。
そして今、立場は変わり自分は耶麻台国を父が夢見たように復興し、そんな自分自身は望外の地位にいる。
単純に喜んで好いはずだった。父にだって誇れるはずだった。音羽は不可能だと思われていた事やってのけ、父の夢をその手で叶えたのだから。
それでも、もし父が今目の前に現れたとしたら、音羽は何と父に言えばいいのかわからなかった。そこには、復興がなった時の喜びも晴れがましさもまるでなかった。硬く、重い沈黙があるだけだった。
「……俺がさ、言う事じゃないとは思うんだけど」
音羽の重い沈黙を剥がす様に、九峪が言葉をゆっくりと吐き出す。
「音羽のお父さんがいなくなったのはさ、何か止むに止まれない理由があったと思うんだ」
「……理由」
思いがけない九峪の言葉に、音羽はちらりと九峪の横になった顔を見た。
そこには、まるでうずく傷口を無理して我慢している子供のような九峪が自分の膝の上から遠くを見ていた。
「ああ、誰もさ、好き好んで家族の前から消えたりはしないと思うんだ」
「……そうでしょうか」
音羽は、父の顔を思い浮かべる。
「俺はそう思うよ、きっと伝えたくても伝えられない理由があったと思うんだ」
「九峪様はどうしてそうお思いになったんですか」
音羽はそう聞かない訳にはいかなかった。九峪の言葉には、ただの部下への同情を越えた九峪自身の痛みが感じられるように思えたからだった。
「もし、俺が親父さんの立場だったらそう思ったんじゃないかなと思ってさ。……それじゃあ、駄目かな?」
「……九峪様らしいですね」
音羽は、最後のふざけたような九峪の言葉に誠実さだけはわかった。だから、それ以上音羽は踏み込むのを止めた。
「そうかな」
「ええ」
九峪は笑う。音羽もそれに答える様に笑う。
音羽は九峪の言葉を全て受け入れた訳ではなかった。それは、九峪の言葉だった。父には父の言葉があるはずだった。それでも、九峪の言葉には、精一杯の誠実さと優しさがあった。音羽にはそれで充分だった。
「……ところで、九峪様。私は何時になったら解放していただけるんでしょうか?」
「いいじゃないか、気持ち好いし」
両膝にかかる重さに困惑した音羽に、九峪は気楽に答える。
「清端に怒られますよ」
「う〜ん、それは困るなァ。じゃあ、俺は寝たフリしてるんでよろしく」
そう言うと、一度にやりと意地の悪い笑みを浮べてから九峪は目を閉じてしまった。
「だ、だめですよ。冗談が通じる相手じゃないんですから」
音羽は、身震いをした。良くも悪くも、音羽が知る限り清端という人間はこの手の冗談が通じる相手ではない。一歩間違えば、本気で命が危険すら感じる。
「いいだろ。いつか音羽だって、俺の事無視したろ……」
九峪は目を開けず、あくびを一つしながらそう弱弱しく呟いた。
「そ、そんなあれとは……」
随分と昔の話を持ち出され、顔色を変えて動揺してしまった音羽は、何とか反論を試みるが、朴訥な音羽にはとっさにうまい言葉が見つからなかった。
「……九峪様?」
「……すぅ〜、すぅ〜」
あわあわと言葉を濁した音羽が気がついた時にはすでに時遅く九峪は、彼女の膝の上で規則正しい寝息を立て無邪気で無防備な寝顔を晒していた。
「寝てしまわれたんですか、九峪様。……もう、どうしたらいいんですか、これ」
自分の膝の上で実に幸せそうな寝顔の九峪を見ながら、音羽はまさか叩き起こすことも出来ずただ愚痴ることしかできなかった。もっとも、音羽自身気づいてはいなかったのかもしれないが、その口元には柔らかな笑みが浮かんでいた。
音羽の体を、山の涼しい風が吹き抜ける。何時の間にか、風がまた吹き始めていたのだった。
ちなみに、この後九峪は遅れて合流した清端に思いきり蹴起こされる事になるのだが……、それはまた別の話である。
〜了〜
後書き座談会
「……できましたね」
「……できたみたいね」
「じゃあ、これで」
「ちょっと待ちなさい」
「な、なんですか……?」
「まさか、これで終われるなんて本気で考えてるわけじゃないんでしょ(ニコッ)」
「……え〜と、お、終わりたいな〜、とか思うんですけど」
「うふふふふふ。冗談よね、つかみはO〜K〜とかよね」
「……あ、は、はっ、ははははは。も、もちろんですとも」
「そうよね〜、これだけ遅れといてね〜。一言もなしなんて事はないわよね〜」
「あっ、はっ、ははは、と、当然じゃないですか〜」
「で、何でこんなに遅れた訳?」
「……前にも同じような台詞聞きましたな」
「あんたが、同じような事繰り返してるっている証拠でしょうが」
「なんだ〜、前にも同じようなことしてるなら皆さん馴れてますよね」
「……ふん」
ごき
「……も、申し訳ございません、すべてこの私高野の不徳の至りでございます」
「まあ、今はこれでいいわ。で、今回は何で音羽さんが主人公なわけ」
「これは、緑龍さんとmayukoさんと小麦八郎さんへのお返し用に書いたSSですので、緑龍さんのお好きなキャラである音羽さんを主人公にさせていただきました」
「へぇぇぇぇぇ、ちなみに暑中見舞いを頂いたのは8月よね」
「そ、そうですね」
「ちなみに、今は10月半ばよね」
「……さあ、というわけで緑龍さん、mayukoさん、小麦八郎さんありがとうございました。稚拙なSSですが、気に入っていただけたら幸いです」
「……逃げたわね」
「え、え〜と、後はですね。このSSは緑龍さんが以前描かれた「時を止めて 〜ずっと二人で〜」という絵がモデルというか、元になっています。……大分、緑龍さんが考えていた話とは違うんじゃないかとは思うんですが……」
「どうして、あの美麗なCGがこんな稚拙な話になるのか不思議よね〜」
「うぅぅぅぅ、これでも出来るだけ見劣りしないように頑張ったんですよ〜」
「今の日本ではねェ。努力しただけじゃあ認められないのよ」
「成果主義なんて大嫌いだ〜〜」
「はいはい、え〜とこんなもんかしら」
「そうですね。こんなもんですね」
「じゃあ……、おしおきだべ〜〜〜〜」
「ちょ、ちょっと、待ってくださいぃぃぃぃ。それはさすがにキャラが違い過ぎませんか?」
「知らない、知らないわよ〜〜〜〜〜〜。おしおきなのよ〜〜〜、おほほほほほほほ〜〜」
「も、もしかして、他の方のSSであとがきの主とか言われたのを根に持ってませんかぁぁぁぁぁ」
「うるさぁぁぁぁぁい」
ボカドキゲコザクドカ……
〜完〜
蛇足のための蛇足
残念な事に、MAYUKOさんがHPを止められた事で長いこと休載していた音羽伝でございます。
・・・あれです、読み返してもう休載のままでいいんじゃねぇ?
とか思ってたんですが、長いことまともな更新してないので一応これでお茶を濁すということで、はい。
本当に申し訳ないです。
昔を懐かしみつつ、苦笑とともにでも読んでくださいましたら、うれしい限りです。
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