小ネタ

 前書き

 このSSは、『火魅子伝』10巻を読んでいる事を前提に書いてますので、読まれて無い方は読んでも意味はわからないと思います。
 その辺、お気をつけくださいませ。

 火魅子伝 外記 志野伝

 邪馬台国が復興して、一週間ほどが過ぎたある日の事である。
 征西都督府あらため、耶牟原城となったばかりの廊下を一人の女性が歩いていた。
 化粧気がほとんどなく、地味な服装をしているが、すらりと伸びた手足とその凛とした相貌の美しさは隠しようも無い。彼女こそ耶麻台国の将軍にして、元火魅子候補の王族志野である。
「失礼いたします、九峪様」
 志野は、奥まった一室の前で足を止めると、一言扉の前で断ってゆっくりと扉を開けた。
「ああ、志野。うん、ええっと、その、そこに座ってくれるかな」
 部屋の中では、一人の男性が床机に座っていた。
 座っているので今ひとつ分からないが、背が高く量感にあふれた体つきをしている。顔には、まだ多少幼さを残しているが眼には意思の強さが見て取れるだろう。
 彼こそ、何を隠そう復興軍を率い誰もが無理だと思われていた耶麻台国復興を成し遂げた英雄にして神の御遣い九峪雅比古その人であった。
「はい」
「ええっと、その、お茶飲むか?」
 九峪は何時になくそわそわと落ち着かず、部屋の中を歩き回ると急須を取り出した。
「はぁ? 頂きます」
 志野は、神の御遣いがじきじきに煎れたお茶を物珍しそうに少々眺めてから、上品に口に含んだ。
「ええっと、その、だなぁ、実は今日志野に折り入って話があるんだ」
 志野がお茶を一杯飲み終えるのを待っていたかのように、少々時間をおいて先ほどから妙に落ち着かない風情の九峪はそう切り出した。
「……そうですか。実は私も九峪様にお話があったんです」
 志野も、茶碗を置くと微笑んでそう言った。
「話、うん、そうか、いや、先に俺が話してもいいかな?」
 落ち着いた志野とは、反対に九峪の様子は明らかにおかしかった。志野の言葉に慌てたようにそう言う。
「ええ、それは勿論」
「うん、ごほん。 実はさ、志野に折り入って頼みがあるんだ」
 九峪は、自らを落ち着けるように一つ咳払いをすると居住まいを直してそう言った。
「頼みですか?」
「そう、そうなんだ。これから新しい国を造っていく上でさ。どうしても、しっかりとした諜報組織を作りたいと思ってたんだ。それで、その長をぜひとも志野に頼みたいんだ」
「……諜報組織の長、ですか?」
 九峪の突然の申し出に志野は、戸惑ったように言葉をくり返した。
「うん、そうなんだ。ぜひとも、志野にと思って」
「ですが、そういった仕事は他に適任者がいるように思いますが」
 志野は小首を傾げた。
 諜報部隊という事は、乱破や山人といった特殊な技能を持つ人間をすべる事になる。そうなれば、初めから乱破としての訓練を受けている清瑞や山人として生活していた伊万里の方が適役であるように思えたからだった。
「そう、そうなんだ。最初は、清瑞の奴に任せようと思ってたんだけどさ。あいつが、言うに事欠いて「私は、手のかかる神の御遣いの護衛で手一杯です」とか言って断ってきたんだ。それで、どうしようか、と思ってたら、藤那、いや火魅子様がさ、「それだったら、志野が適任だ」って言うんだ」
 志野の疑問に、我が意を得たと言わんばかりに九峪は早口にそうまくし立てた。
「……火魅子様がですか」
 突然出てきた意外な名前に、志野は驚いた。
「そうそうなんだよ。何でも、二人が復興軍に参加する前に志野の腕前を見てるらしくてさ。それで、志野だったら大丈夫だって太鼓判押してるんだ。それに、ほら、志野はさ。旅芸人の一座を率いてるじゃないか。一座だったら、他国にもどこにでも比較的楽に潜入できるだろ」
 言われて、志野の脳裏にも浮かび上がる事があった。
 まだ、自分が何者かも知らず、ただ座長の仇を討つためだけに活動していた頃、藤那とも初めてあった頃の話だ。
(確か、覗き見されていて、そのせいで藤那様を殺そうとしたんだっけ)
 志野は、余計な事まで思い出してそっと苦笑をかみ殺した。
 また、この時代娯楽が極端に少ない事もあって旅芸人の一座はどんな国、都市でも歓迎されていた。しかも、芸人が相手という事もあり人物検査も荷物検査も比較的ゆるいのが通常であった。
「ええ、まあ、そうですね」
「うんうん、正直、そんな仕事に就いてもらうとなると、将軍の仕事も降りてもらわないといけないし、王族である事をできるだけ隠してもらわないと駄目だし、色々と国々を飛び回ってもらわないといけなくなるから頼み難かったんだけどさ。もし、よかったら引き受けてくれないな。これ、この通り」
 九峪は、頭を深々と下げた。
 志野は、その九峪の姿を複雑な思いで眺めていた。目の前にいる人の腰の低さは、これまで嫌というほど見てきたので、それほどもう驚かった。
(でも、こんな姿誰かに見られたらどうするつもりなのかしら?)
 志野は、苦笑を噛み殺した。
 昔からの仲間ならいいが、何もしらない人が見たらさぞやありもしない妄想をかきたてさせる場面だろう。
(でも、本当にこの人には驚かされぱなし。どうやったら、こんな事思いつくのかしら)
 九峪が誰に、どういった話を持ちかけられたのかは火を見るより明らかだった。そして、いくら九峪からでも現状維持を頼まれたら志野もそれを受け入れたかどうかわからなかっただろう。 まさか、このような形で引きとめられるとは正直志野の予想には無い事だった。
「……わかりました。お引き受けいたします」
「ほ、ほんとうか、いや、助かるよ〜」
 一拍置いた志野の返答に、九峪は顔を輝かせた。
「……何と言っても、火魅子様と九峪様の御二人に直々にお願いされたら、さすがに断れませんから」
「えっ、そ、そうかな」
 志野の言葉に九峪の顔が引きつり、汗が一滴流れ落ちていく。
「お話はそれだけでしょうか」
「えっ、ああ、そ、そうかな。うん。詳しい段取りはまた今度ということで」
「それでは、これで」
「ああ、その、え〜と、志野?」
 立ち上がりかけた志野に、九峪は視線をそらして問い掛けた。
「なんですか、九峪様?」
「ええっと、その志野の話はいいのかな?」
「ええ、もう済んでしまいましたから」
 志野は、あくまで眼を合わせようとはしない九峪ににこりと笑いかけてそう言った。
 もう二年もの間付き合ってきたのだ、あと少し予定を先延ばしにして悪いという事はないはずだ、と志野は思う。
(それに、あの子もそれを望んでいるみたいだし)
「そ、そう、それはよかった」
 その答えに、九峪はほっとしたようにため息をついた。
「九峪様」
 それはちょっとした悪戯心だった。もしかしたら、少しばかりはここまで念入りに用意された舞台に対する志野なりの仕返しの意味もあったのかもしれないが、それはやっぱりちょっとした悪戯心である事は間違いなかった。
「は、はい」
「私、ちょっと期待してたんですよ」
 志野は、声に微笑を乗せてそう呟くように囁いた。まったく、女性でも蕩けそうな声だった。
「き、期待?」
 もちろん、健全な若者である九峪も顔を真っ赤に染め、声を上ずらせた。
「ええ、そうです。でも、今はこれで充分です」
「ええっと、その、それは」
「では、これで失礼します」
 面白いぐらい狼狽する九峪に、それ以上言葉を続けさせる事無く、志野はその場を後にしたのだった。

「……珠洲、いるんでしょ?」
 九峪の部屋から、少し離れて志野は誰もいない廊下でそう言った。
「…………」
 柱の影から、小さな人影が姿を表した。拗ねた様にそっぽを向いた珠洲が立っていた。
 少女が、全てを見ていた事は疑う余地がなかった。
「馬鹿なんだから」
 志野は、珠洲に歩み寄るとその小さな体を抱きしめた。珠洲も逆らわず、あくまで視線は合わせずに志野の細い腰をしっかりと自分の腕で抱きしめる。
「……馬鹿でいいもん」
 志野は、拗ねた珠洲の言葉を聞きながら今はただ、自分が必要とされているこの幸せを噛み締めていた。

                                                        〜終〜  

 後書き

 最近書いてなかった火魅子伝のリハビリも兼ねた小ネタです。
 まあ、あくまで小ネタなんで前書いたのと整合がつかない所があるかと思いますが許したってください。
 あと、これは個人的にRさんに押し付け、もとい差し上げたいと思います。心当りのある方、もらったってください(笑)