ジャンク 2
男が浅い眠りから目を覚ますと、隣で寝ていたはずの女は幽かなぬくもりだけを残して消えていた。不安が男の胸を一瞬かすめる。
「……お目覚めになられましたか」
男が声がした方に顔を向けると、年の頃は30代前半といったところの怜悧な美貌という表現ぴったりの女が薄衣一枚を羽織り男の枕元で控えていた。
(そんな事をしなくてもいいのだがな・・・・・・)
男は、女を見ながらそう思った。正直なところ、できれば起きた時に隣に寝ていて欲しかった。
「ああ、だが少し早かったようだな」
そう言いながらも、男は寝床から立ちあがった。気持ちが昂ぶっているのだろ、もう一度寝床に戻る気にはなれなかった。
男もやはり30代前半といったところだろうか、長身でがっしりとした体をしている。
「お着替えの方、お手伝いいたします」
「ああ、頼むよ」
男は立ちあがると、寝巻きを脱ぎ捨てた。女がすぐに替わりの服を差し出す。男もそれが決まり事であるかのように、女が差し出した服を身につけはじめた。
少しの間、部屋の中は衣ずれの音だけが涼やかに木霊する。
「この城は、もうもたないか?」
男はまるで、明日の天気を尋ねるかに普段と何一つ変わらない口調でそう尋ねた。
「残念ながら」
女も淡々とした口調で、手を止めず答えた。
「・・・・・・口惜しいものだな」
男の口調こそ、女のように淡々としたものだったが。その両手は、爪が肉に食い込むほど強く握り締められていた。
「あなたのせいではありません」
女の口調に慰めるような響きはない、ただ事実を述べただけといった淡々とした口調は変わらなかった。
「そうかもしれんがな、私が何もできなかった事に変わりは無い」
「……」
女は、手を止めない。男もそれ以上は何も言わなかった。
「・・・・・・そういえば、清端はどうしてるかな?」
不意に男が、口調を和らげてそう呟く。
「元気でやっていると、聞き及んでいます」
初めて女の表情が少し陰り、女は俯いた。
「私は、酷い男だな。あんな幼子から母親を取り上げるとは・・・・・・」
男は清端の愛らしい顔を思い出すたびに、いたたまれない気持ちになる。
清端は今年4歳になったばかりだ。まだまだ、母のぬくもりを必要としている年頃なのだ。 その母と娘を引き剥がしてしまったのは、自分の不甲斐無さのせいなのだから。
「私が母である事より乱破としての使命を選んだだけの事、伊雅様が気にやむような事ではありません」
女は毅然と顔上げるとした表情でそう答えた。
「……すまない」
「いえ」
「そうだな、この戦が終わったらまたお前の里に寄らせてもらおう。久しぶりに清端の顔も見たいしな」
「それは、あの子もきっと喜びます」
男と女が見詰め合い、優しく笑い合う。
男も女もそれが、果たされることの無い約束であることを知っていた。それでも、今ここで未来の約束を交わす事こそが大事だということを二人は知っていた。
男が腰に刀をさすと、それで着替えは終わった。女は男の全身を一度上から下まで見て、服の裾を2箇所ほど綺麗に整えた。そして、満足したように頷いた。
「さて、行くか」
「・・・・・・伊雅様」
部屋を出ようとしていた男の足が、名前を呼ばれ止まる。振りかえると、何故か女が正座をしてこちらを見上げていた。
「清端の事、お願い致します」
そう言って、女は深深と腰を折った。
「どうしたんだ、急にあらたまって」
男があまりに大仰な女の姿を笑う。
言われるまでもなく、清端は男にとっても特別な子供だった。邪険にあつかう訳が無い、こんな状況でもなければ手元に置いておいただろう。
「こんな時でもなければ、申し上げられませんから」
だが、女はどこまでも真面目に顔を上げると男の目を見据える。
「任せておけ。こう見えても、私は王弟だぞ。娘御の一人や二人どうということはない」
男は、自分の肩書きが物の役にたたなくなることを知っていた。そして、目の前の女がそういった権威を欲しがる女性でもない事も知っていた。
それでも、今の男には女に誇れるものが他になかった。
「わかった、とだけお答えいただけないでしょうか?」
女は、有無を言わせない断固そした口調で男の言葉を遮る様にそう言った。
「・・・・・・・わかった」
男は、ゆっくりと女に頷く。女が自分に何を求めているのか判らなかった、だがそうしなければならないと男には思えた。
「ありがとうございます」
女も、そんな男の様子に安心したように今一度頭を下げて立ちあがった。
「では、行くか」
「はい」
伊雅は、自室から一歩踏み出した。そこがもう、戦場である事を彼は知っていた。
完
後書き
これぞ、ザ・走り書き。
小ネタなんで、あんまり怒らないでくださいね。
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