火魅子伝　後記　夷緒伝

　耶麻台国の復興がなり、九峪はこの世界に残る事を選択してから数週間が経とうとしていた頃の話である。

「九峪様」
「は〜い、入ってきてくれ」
　躊躇いがちな戸を叩く音の後、黒髪の女性が静かに部屋の中に入ってきた。
　竹簡や木簡で雑然とした部屋の中心で復興軍総大将九峪が床机に座り、竹簡をめくっていた。
「あっ、夷緒来てくれたか」
「お呼びですか？」
　夷緒と呼ばれた女性は、その表を上げた。まだ年若い美しい痩身の女性である。だが、その細い腕に大の男を遥かに凌駕する怪力が秘められているのは、元復興軍の間では知らない者はいない。
「ああ、ちょっと内密にさ。手に入れて欲しいものがあるんだ」
　九峪は、入り口で控えている夷緒を手招きしながらそう言った。
「内密にですか･･････、ま、まさか。いけません、九峪様」
　夷緒は、顔を赤らめて両手をぶんぶんと振るう。
「へっ？　何言ってるんだ、夷緒」
　まだ、本題にも入ってないのに慌てふためく夷緒に九峪は首を傾げた。
「あ、あの、その、ごにょごにょ」
「はぁ、なんだって？」
　俯いて口篭もる夷緒に、九峪はいぶかしげに耳を傾ける。
「で、ですから、その･･････」
「ふんふん」
「･･････星華様の下帯ですか」
　夷緒は、顔を真っ赤に染めて蚊の泣くような声でぽつりとそう呟く。
「ばっ、馬鹿そんなわけないだろ」
　だが、今度顔を赤らめて慌てたのは九峪の方だった。もちろん、まったく意図していない答えに慌てたのもそうだが、一瞬脳裏を星華の悩ましげな姿態が通り過ぎたのは、無論九峪だけの秘密である。
「あ、そうですか」
「･･････お前等、日頃俺をどんな目で見てるんだ」
　あからさまにほっとしたような態度を見せる夷緒に、九峪は口を尖らせた。
「そ、それで、内密に手に入れてるものってなんですか？」
「む〜〜、まあ、いいか、あのな耳貸せ」
「は、はぁ」
　九峪は、大仰しく夷緒の耳打ちをした。
「どうだ、手に入れられるか」
「いえ、その、そんな物でよろしければいつでも手に入りますが、何に使うんです」
　夷緒は困惑顔でそう尋ね返した。九峪の頼んだ物自体は特に秘密にしなければならないような物だとは思わなかった。
「それは、その時に話すよ。じゃあ、よろしく頼むよ」

「九峪様、お持ちしました」
　その日の夕刻に、夷緒はもう一度九峪の部屋を尋ねた。夷緒の両手には、風呂敷で包まれた手荷物がのっていた。
「おぉ、早かったなァ」
　何やら、床机で書物をしていた九峪が感心したようにそう言った。
「簡単でしたから」
「うんうん。さすが、夷緒。頼りになるな」
　九峪は満面の笑みを浮べて、夷緒が差し出した手荷物を受け取った。
「そ、そんな、あ、あの、それじゃあ外でお待ちしてますので。準備ができたらお呼びください」
「あいよ〜」
　夷緒がそそくさと部屋を出ていった。
「夷緒、いいぞ〜」
「はい、失礼いたします」
　しばらくして九峪の声でもう一度、夷緒が部屋の中に入ると、そこにはいつもの特徴的なブレザーではなく、この世界では当たり前の貫頭衣を着た九峪が立っていた。
　ちなみに、すでに神の御遣いの装束として見慣れた九峪のブレザー風の胡服は全て夷緒が見様見真似で作った服だった。
「どうだ。似合ってるか？」
「は、はぁ」
　夷緒は言葉に詰まったように辺りを一度見渡して、あからさまに九峪から目をそらした。
「･･････大変お似合いかと」
「夷緒」
　そんな有様の夷緒の姿を見て、九峪が苦笑を漏らした。
「は、はい」
　九峪の声に、夷緒が気を付けの姿勢で硬直した。
「無理しなくていいって。まあ、俺もいまいち似合ってないなぁ〜と思ってたんだ」
　九峪は、自分の体を見下ろして笑う。自分でも、今一つ似合っていないのはわかっていた。
　新しい服は布が荒いせいかごわつき、九峪には着ている服が囚人服のようにすら見えた。
「そ、そんな事は」
　九峪の苦笑の篭った声に、夷緒は言葉を濁してしまう。
「ふ〜、やっぱり、みんなに見せる前に夷緒に見てもらっておいてよかったよ。珠洲や上乃になんて言われた事か」
「･･････あ、あの、どうして突然お着替えになられたんですか？」
「うん、まあ、そのけじめというかなんというか」
　今度は、九峪が夷緒の問いかけにばつが悪そうに、目をそらせると困ったように頭を掻きながらそう答えた。
「けじめですか」
「まあ、いいじゃないか。どうせ、これからはさ、服なんかはみんなが着てる物の方が都合がいいしさ。いちいち、夷緒に作ってもらうのも面倒だろ」
　夷緒の沈んだ声に、九峪は笑いながら夷緒に向き直るとおどけた調子でそう言った。
「九峪様」
「何？」
「お裾が曲がっております」
　夷緒は九峪の足元にしゃがみ込むと、捲れ上がった九峪の右足の裾を直し始めた。
「ああ、悪い」
「･･････よろしいじゃありませんか」
　夷緒は、九峪の服の皺を伸ばしながらぽつりとそう呟く。
「何が」
「私達は、九峪様がここに残って頂けただけで嬉しいんです。九峪様の心がどこにあっても、どの人を思っていても。ここに九峪様がいるそれだけで、私達は充分なんです。服なんて、私が何着でも作って差し上げますから。そのままでいいんですよ」
「あのさ、夷緒」
「なんですか」
　顔を上げた夷緒が見たのは、悪童のような笑みを浮べた九峪だった。
「･･････恥ずかしくない？」
　おどけたような九峪の一言で、夷緒の顔が耳たぶから首筋まで一気に赤に染まった。
「な、なんて事言うんですか」

「のぁぁぁぁ」

　そして、次の瞬間には九峪は綺麗に部屋の角に積み重ねられていた竹簡の上に吹き飛ばされていた。
「あぁ、く、九峪様。す、すみません」
　突き飛ばした当本人である夷緒が、顔を蒼白にして近寄ってくるのを手で制して、そのままの姿で九峪は笑う。
「いいって、いいって、大丈夫。あの時の一本背負いに比べたらどうって事ないって」
「あ、あの、その、じゃあ、私はこれで」
　体を動かして大丈夫だという事を証明する九峪の姿に安心したのか、夷緒はそそくさと部屋を出て行こうとする。
「あ、そうだ、夷緒」
「な、なんです」
　不意に、九峪は出て行こうとしていた夷緒を呼び止めた。すでに、体の半ばまでは部屋を出ていた夷緒は急いで顔だけ九峪の方に向けた。
「ありがとう」
「は、はい」
　夷緒は満面の笑みを浮べて、部屋を出ていった。そんな姿を見送って、九峪は竹簡の上にもう一度体を横たえた。そして、右腕を顔にあてがった。
「･･････幸せ者だよな〜、やっぱり俺って」
　九峪は、暗闇の中でそう呟くのだった。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　〜完〜

　後書き

　名前がついたジャンクです(笑)
　夷緒伝というほど、夷緒にスポットライト当たってないですし、まあ手草見にでもどうぞ。構想五分のＳＳぐらですので(笑)
「ちょっと、私の出番は？」
　おや、日魅子さん。残念ながら、今回は本当にこれで終わりです。それでは、また〜。
「えっ、ちょっと、ちょっとぉ〜〜、待ちなさいよ〜〜」
　あっ、何でもいいんで感想とか書いてくれると嬉しいです〜。
「こ、こら〜〜〜」

　　　　　　　　　　　　　 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　〜完〜