Fate/hollow ataraxia



 このSSは、FDの「epilogue.」後のお話になっております。
 本編設定は、FateED後としております。したがって、サーヴァントは出ません。一切、一人も出ません。
 その点、ご了承ください。


 Fate/hollow ataraxia  5日目の夜に


 夜、衛宮邸の中庭を横切る人影が一つ。
 影が一直線に目指す先には、庭の隅に置かれた古めかしい土蔵。土蔵からは深夜だというのに僅かだが光が漏れていた。その光のおかげで、夜の闇の中からおぼろげにその影を視覚できていた。
 夜の闇に溶け込むような皺のないスーツ姿で、左腕の袖だけは風に晒されている柳のように力なく揺らしながら、定規で測ったような規則正しく歩幅で夜の庭を横断していく。
 その姿は、さながら悪鬼幽鬼の類に傍目には見えるかもしれない。だが、近くによってその整った相貌を見る事ができれば、そんな想像はすぐに吹き飛んでしまうだろう。
 影は古めかしい土蔵の前に立つと、残った右腕を大きく隆起した胸に手を当て深呼吸をして息を整えた。光の中ならば、その整った相貌の両頬が薄く赤らんでいるのがわかっただろう。
 大人然とした服装や、容姿とは裏腹に、その人影は10代の乙女のように胸をときめかせて頬を赤く染めて緊張していたのだ。
 人影の一本残った右腕が、土蔵の扉をゆっくりと押した。扉はその古色然とした外見とは裏腹に、音も無く容易く開いた。
 入り口から見えた部分だけで雑然とした雰囲気が伝わる土蔵には人影が予想した通り、赤毛の少年が入り口に背を向けて結跏趺坐をしていた。
 空いた扉からは外の冷たい空気が流れ込んできて、土蔵の中の淀んだ空気を吐き出しているというのに少年は土蔵に踏み入れた人物にも気がついていない。何故なら少年の周りの空間だけは侵入した人影が声をかけるのも、踏み込む事も拒絶するような、いや、そもそも少年周りの空間だけを切り取って他の世界と入れ替えたような、そんな絶対的な断絶が出来上がっていた。

「ふう」

 そんな奇妙な空間が、少年が漏らした安堵の溜息で一瞬で霧散した。

「……士郎君」
「……あれ、バゼットさんか。どうしたんだ、こんな夜中に」

 呼びかけにようやく振り返った衛宮士郎のまだ幼さが抜け切っていない相貌を見た途端、また一段階バゼットの心拍数が上がった。
 彼女の記憶の中に焼きついている相貌とは、受ける印象はあまりに違うのにあまりにも似通った目鼻立ち。
 今日日中幾度もも顔を合わせていた事なのに、土蔵の淡い光の中でうっすらと影がかかって浮かび上がったその相貌にバゼットは一瞬言葉を失ってしまった。

「あ、あのですね、士郎君。ああ、すみません」

 ようやっと言葉を紡ぎ出そうとしだしたバゼットを、不意に深夜のしじまに響いた乾いた金属音が遮ってしまった。
 無造作に近づいたバゼットの足が、土蔵の床に無造作に放り投げられていたアルミ製の鍋を蹴飛ばしてしまったのだ。

「ああ、別にいいよ。それ、どうせ失敗作だし」

 失敗作、という士郎の言葉に眉を顰め、自分が今蹴飛ばした鍋を掴んだバゼットの顔が驚きに変わった。

「士郎君、君はこんな事をいつもしているのですか?」

 冷たく、固い感触。無論、触れたぐらいで壊れるようなものではない。だが、その自然さがかえってバゼットにとっては驚異そのものだった。
 なぜなら、その鍋が正常なモノではないことは人目で知れたからだった。
 形上は正常、だが中身は徹底的に何かが欠けていた。それは、本来ならこの世界にありえざるものだった。

「こんな事? ええ、俺は未熟者だから、訓練だけはしておかないと」

 だが、そんな目の前のバゼットの驚きは、このごくささやかななれど確かな奇跡を失敗作と言い捨てた衛宮士郎には通じないものであるらしかった。
 拙いとはいえ魔術師の工房に、他の魔術師のあっさり侵入を許したばかりか、それを咎めようともせず、さらにこんなとんでもない代物を容易く見せてしまうそんな姿に、バゼットは呆れるのを、通り越してただ感心してしまうほどだった。

「未熟者ですか? この聖杯戦争の勝者とも思えない発言ですね」

 目の前の少年こそ、彼女、魔術協会の封印執行者であるバゼット・マクレミッツがまともに参加すらできず早々に脱落を余儀なくされた魔術師たちの血で血を洗う戦争のたった一人の勝利者だった。

「あれは、セイバーのおかげだよ。俺は結局禄に役に立てなかったから。だから、次こそは誰かの役に立つようにならないと」
「……誰かのためにですか」
「ああ」

 正面から彼の顔を見つめて、バゼットはその違いを確認した。
 あまりに真逆なその性がかえって、その容姿と相まってバゼットの記憶を狂おしいまでに刺激していた。
 あの場所であのサーヴァントに感じた、後悔が、感謝が、焦燥が、苦悩が、怒りが、狂おしさが、哀切が、諦めが、同情がごちゃまぜになってバゼットの中で衝動となって湧き上がってきた。

「士郎君」

 緊張とは違う感情の揺れから、バゼットの声が震えた。
 ギニュウ、濁った音がバゼットの右手から搾り出された。革の手袋をした右手を、バゼットが知らず知らずのうちに強く握り締めたためだった。

「なんです?」
「申し訳ありません、と最初に謝っておきます。これから私がする事は本当はあなたには何の関係も無い事です。本当に申し訳ありません。ですが、どうにも我慢ができないのです。あとで、あなたのどんな罵詈暴言でも報復でも甘んじて受けましょう。ですから」
「?」

 いきなり早口でそう巻くしたてるバゼットの姿に、士郎は首を傾げた。
 記憶の彼とは違う、その鈍感さが今はバゼットには都合がよかった。もし、彼ならばきっとこんな会話をする間もなくのらりくらりとはぐらかされて間を外されるか、逃げられていたに違いなかったからだ。

「耐えて下さい」

 バゼットの厳粛ともいえる口調に、士郎が思わず背筋を伸ばした次の瞬間、炸裂弾の爆音のような乾いた破裂音が土蔵に木霊した。
 バゼットの右手が、士郎の左頬を綺麗に捉えていた。平手打ち、もしくはビンタという呼称が正しいのだろうが。士郎が受けた被害はそんな言葉には似つかわしいものではなかった。
 叩かれた瞬間、士郎の体が打たれた左頬を中心にした半回転して土蔵の床に文字通り叩きつけられたのだから、その威力の凄まじさが窺い知れるだろう。

「ああ、本当に申し訳ありません。……ですが、どうしてもやらない訳にはいかなかったのです」

 打たれて赤く腫上がった左頬に、手を添えて呆然と士郎はバゼットを見上げていた。
 そんな姿にバゼットにも後悔と罪悪感を覚えるが、それ以上に満足感がこみ上げてきていた。胸がすくというのは、こういう事を言うのだろうとバゼットは思う。
 もうバゼットの記憶のうちにしか存在しない、たった四日間だけの聖杯戦争。
 確かにあの日々は、全部まやかしで、ごかましで、偽者だったけれど、やはり楽しい幸福な日々だった。間違いだと知ってもやはりバゼットはしがみ付きたかった。そんな日々だった。
 だから、どうしても彼女は考えてしまう。
 もし、彼が衛宮士郎という殻に入らなければ、と。
 美しい虚偽を、偽善と断ずる事をしなければ、と。
 彼が衛宮士郎の理想に憧れなど抱かなければ、と  きっと、あの日々は今でもくるくると回り続けていてくれたはずだ、と。
 あの嘘つきで、粗暴で、捨て鉢な、彼の願いは今も自分の願いと共に回っていたのではないか、と。
 それが、誤魔化しにしぎない事はバゼット自身わかっていた。あの偽りは長くは続かなかったと、いつかは終わりが来る事を。彼に指摘されたように、自傷を繰り返す人間のように血を流し続ける事になったとしても。それでも、それでも彼女は夢を見続けていたかったのだ。
 あのサーヴァントと共に。
 だからバゼットは許せなかった、我慢できなかった。
 正しい事だとわかっていても、それをした彼も。
 目の前のそんな理想を持った衛宮士郎も。
 だって、そうでなければ、彼だけはいつまでたっても救われないのに。

「こ、これでも、我慢したのです。本当はあの洋館で会った瞬間からこうしてやりたくて仕方なかったのです。ですが、やはり、それはあまりに唐突ですし」

 あの奇跡の続きのように定められた出会い。
 目の前の顔が扉から出てきた時、何もかもがバゼットの中で繋がったような気がしたのだ。

「なんでさ? 俺、バゼットさんに何かやったか?」
「い、いえ、ですから。これは、士郎君には本当は係わり合いの無い事なのです。ただ、その私の気持ちの問題と言うか。これくらい返してやらないと収まりがきかないといいますか」

 しどろもどろながら流れ出す言葉に、バゼットは自己嫌悪を感じる。
 今更、目の前の彼に嫌われたくないと思ってしまう自分。
 罵詈雑言を受けると言って覚悟を決めていたはずなのに、揺らいでいる自分。
 なんて弱い、なんて醜い、なんて臆病な自分。
 だけど、彼と同じ顔をした衛宮士郎に嫌われるのは、拒絶されるのは、バゼットにはきっと耐えられない。
 しどろもどろになって、弁解になってない弁解を繰り返すバゼットの姿に不意に士郎が笑う。
 何の屈託も感じさせず、バゼットの不安を放り投げてしまうかのように、士郎は笑って答えた。

「そうか、ならいいや」
「えっ?」
「よくわからないけど、バゼットさんにはそれが必要だったんだろ。だったら、それでいいよ。……ちょっとは加減してくると嬉しかったけど」

 そう言いながら、打たれ真っ赤に腫上がった頬を気にしながら士郎は立ち上がった。その顔はもうバゼットを少しも責めてはいなかった。
 寧ろ、どこか彼女の懸念が晴れた事が喜んでいるかのようにすら見えた。

「……やはり、貴方の有り様は彼とは違う」

 強い、とバゼットは思う。
 彼女が憧れた言峰綺礼の強さとはまた違った強さの有り様がそこにあった。
 きっと彼は、彼女が言峰に憧れたように、そんな士郎の強さに憧れたのだ。

「うん、何の事?」
「士郎君」

 三度目の問い掛けに、よやっと立ち上がった士郎の体が止まり、初めてバゼットと目と目があった。

「?」
「ありがとう」

 腰を90度に曲げて深々とバゼットは頭を下げた。
 声がとても深い所から出てきたように思えた。
 きっと、彼を目の前にしては絶対に言えなかっただろうけど本当は言いたかった事が、衛宮士郎を前にしてようやっと言えた事に、バゼットは嬉しさとその二人の有り様の違いに可笑しさ覚えた。

「ああ、別にもういいったよ」

 そんなバゼットのあまりに真摯な姿に、士郎が頬を紅潮させて照れてぶっきらぼうにそう答えた。
 そんな口調は、どこか彼に似ているようでバゼットは再び顔をほころばせた。

「いえ、今の打撃の事ではなく。士郎君。私は貴方に感謝したかったのです」
「なんでさ。俺、特に何もしてないだろ?」
「貴方に覚えていなくても、その純粋さが私のサーヴァントとそして私自身をも救ってくれたのです。貴方と、私のサーヴァントのお陰で私はまた新しい一歩を踏み出す事ができそうです」

 勿論、衛宮士郎と彼のサーヴァントであったと聞くセイバーがどんな関係であったのか、それはバゼットには詳しくは預かり知らぬところであった。
 だが、この一日衛宮士郎と話して、そしてこの家に住む人々の様子を見れば、その関係が決してサーヴァントとマスターといった通り一遍だけの関係などではない事は不器用なバゼットにも簡単に知れた。
 だと、すればあの四日間はどれほど衛宮士郎という人間にとって幸せな日々だったかを察するに余りあった。  その幸せを、その甘美な夢を、悪だと断罪する事は、その偽善はどれだけ重かったのだろう?
 バゼットにはわからない。
 その強さが、その想いが、その偽善がまるでわからない。
 彼女に出来た事といえば、ただただ年端も行かぬ子供のように壊れてしまったお気に入りの玩具にすがりついていただけだった。
 それは失う痛みを、失った痛みを。
 それは失う苦しみを、失った苦しみを。
 ただただ、引き伸ばしていただけだというのに。
 バゼットには、どうしてもどうしても捨てる事ができなかったのに。

「よくわからないけど、バゼットさんにとって良いことだったならそれでいいさ。
 ところで、バゼットさんのサーヴァントってランサーの事?」
「……いえ、もちろんランサーも私のサーヴァントではありますが、もう一人のかけがいのないサーヴァントの事です」

 バゼットの右腕が、無意識のうちに左腕に伸びた。

 無論、そこには何も無い。空洞の左袖がただだらりと入り口から入ってくる夜の風に揺れているだけだった。だが、それでもバゼットは何もない空間を労わるように撫でた。

「まあ、それはこちらの事です。お気になさらず」
「はぁ?」
「ところで、士郎君」
「なんです」
「私の事は、バゼットと呼び捨てください。どうにも、貴方に敬称をつけて呼ばれるのは落ち着かないのです」
「なんでさ? だって、バゼットさん。俺より年上だし」

 突然の提案に、士郎はわたわたと面白いように慌てた。だが、それは平然と提案したように見えるバゼットとて同じ事だった。いや、その実士郎よりもずっと酷かったかもしれない。
 その証明のように先ほど以上に、声は上擦り心臓の鼓動は早鐘のように高鳴っているのを、バゼットは抑制する事ができなかったのだから。

「かまいません、そ、その代わり私も敬称はつけず呼ばせていただきますので」
「そう、じゃあ、バ、バゼット。これでいいかな?」
「ええ、かまいません。士郎」

 顔を真っ赤に染めて照れ臭そうに自分の名前を呼ぶその口調は、彼女の記憶にこびり付いたものとは随分と違うものであったけれど、その言葉は彼女にはとても心地よく響いたのだった。


 じゃあ、あんまり遅くなってここで寝るとまた桜に怒られるから、と言い残して士郎が土蔵を出て母屋に入ったのを確認して、バゼットは口を開いた。

「大丈夫ですよ、凛さん。士郎君を封印指定などしませんから」
「それを聞いて安心したわ、執行人さん」

 夜の闇から浮かび上がるように現れた遠坂凛をバゼットを見た。
 何となく不機嫌そうに見えるが、元魔術協会の封印指定の執行人が単独で封印指定間違いなしの弟子の魔術師に会えば、不機嫌にもなるだろうと、バゼットは勝手に納得した。
 もちろん、バゼットには先ほどまで遠坂が裏で、「名前を呼び捨てで呼び合う、私なんかまだ苗字なのに」などと呟きながら、地団駄を踏んでいた事など知りようもない話だった。

「私はもう協会に属さないフリーの魔術師ですから、それに」
「それに?」
「私も彼が封印指定を受ける事を望んではいません」
「あら、随分とお優しいのですね。元執行人様としては」

 遠坂の皮肉混じりのその言葉に、バゼットはただにこりと自然に笑みがこぼれた。
 彼は言った、幾度も幾度も迎えたあの朝のたびに。

 さあ、続けようか。マスター。

 もう、その声は聞こえないけれど、まだ答えは見つからないけれど。
 後悔だけは少し軽くなって、きっと今なら素直にバゼットは答える事ができた。

   ええ、続けましょう。アヴェンジャー。

 あの情けない男が最後に願った美しさと、最後に抱けたちっぽけな誇りをもって彼女はまた歩き出すのだから。
 この痛みも、苦しさも、嫌悪も全部彼女自身のものなのだから。

「きっと、彼とはこれから最高のパートナーになれると思っていますから」
「……えっ!?」

 お互いの重みを預けるのではなく、反発したりいがみ合いながらも倒れかけた体を支えあうようなそんな、あのサーヴァントと同じようなパートナーになれるのではないか、そうバゼットには思えた。

  そして、バゼットもまた満足して土蔵を後にした。
 後に、あまりにも思いがけない彼女の言葉に魂を抜かれたように立ち尽くしている遠坂凛一人を残して。

                                             完


  後書き

 ども、二本目のFateSSです。
 正確にはFateのFDのSSですが、いかがでしょうか?
 バゼットさんのSSは結構あるんですが、番外編「後日談」の続きが大半で「epilogue.」の続きを書かれる方があまりいらっしゃらないようなので、この隙に書いてみました。
 ので、またもやサーヴァントの皆様に出番なし。一切なし。
 それが高野クオリティだと思って諦めてくださいませ。
 最後に、このSSがこのような形で掲載できましたのは一重に暇人さんのお力添えによるものです。本当にありがとうございました。
 感想等御座いましたら、是非ともBBS、メール、Web拍手等でお答えいただけたら大変嬉しく思います。

                                              完