読んでいただける方に

 私は『HAPPY LESSON』のゲーム・雑誌等について何ら知識のない状態でアニメのみ見てこのSSを好き勝手に書いております。
 ですので、色々と設定等に問題があるかもしれません(というか、間違いなくあります)
 不勉強の点、申し訳ありません。
 それでも一つ読んでやるかと思っていただける優しい方は、その辺の事もどうか広〜い心で許してくれると嬉しいです、はい。


 HAPPY LESSON 〜 正しい早退の仕方 〜


 中高一環校として県内でも指折りの大きさを誇る私立”こよみ学園”。
 その校内に、午後の授業が終わりを告げる鐘が鳴り響いた。それに少し遅れて校内からは、まるで校舎そのものが息を吹き返したかのように騒がしい音が溢れ出し、教室からは晴れ晴れとした表情を浮かべた生徒達がぞろぞろと出てきた。
 何でもないごく日常の昼休みの光景である。
 昼休みを迎えたその教室でも、数人で弁当を食べる生徒のグループやただ世間話をする集団など騒がしいながらぼんやりとした雰囲気が流れていた。
 その一角、三人の女子生徒が机を寄せ合って世間話に花を咲かせていた。

「で、三組の高山君は?」
「ああ、あれ、私、パス。顔濃すぎ」
「え〜〜、それがいいんじゃない。ね、ふみつきはどう思う?」

 会話を二人に任せ、時々相づちを打つ程度にしか参加してなかったふみつきは完全に虚をつかれた様子でかわいらしいお弁当箱から顔を上げた。
 腰まで伸びた美しい黒髪。飾り気のない眼鏡が野暮ったいが、その下の整った容姿が崩れる訳ではなく、かえって彼女の清楚な雰囲気を際立たせている。

「えっ、私? 私は、別にどうにも」

 ふみつきは困ったように曖昧な笑みを浮かべた。彼女の脳裏にはどうしても三組の高山君の顔は思い浮かばなかった。それでなくても、謹厳実直な委員長を地でいくふみつきはこの手の話にはとんと疎い。

「だめだめ、ふみつきに男の話をしても」
「そりゃあ、そうか」

 二人は笑いを噛み殺した表情で、心得たように頷き合う。

「どういう意味よ」

 二人の態度に、ふみつきは口を尖らせる。

「どういう意味って、ねぇ」
「ねぇ、我がクラスの仁歳チトセ君がいらっしゃいますから」
「なぁ!!!!」

 仁歳チトセの名前が出た途端、ふみつきの顔がペンキでもかけられたように耳まで真っ赤に染まる。
 仁歳チトセは、この四月に学園に転校してきた転校生だった。
 転校してきた当初から、チトセは札付きの問題生徒だった。クラスや学校に溶け込もうとする努力をするわけでもなく、制服を着崩し、遅刻早退は当たり前といった具合だった。
 そのあげく、転校して来てまだ一ヶ月も経たない内に暴力事件を起こし早々に停学処分すら受けていた。その当時はこのまま退学するのではないかというまことしやかな噂が流れたほどだった。
 だが、そんなチトセがある一時期を境に変わった。クラスや学校に溶け込もうと積極的になったわけではないが、少なくても授業を無断で早退したり外で問題を起こす事はなくなっていた。

「なっなっ、何を言って」
「何言ってってね〜」
「ね〜」

 このクラスにおいて、仁歳チトセと委員長七転ふみつきの奇妙な関係を知らない者はいない。というより二人の掛け合いはクラスの名物化していた。
 実際の所は、何かにつけて転校生で問題児のチトセを委員長のふみつきが世話をやいてるにすぎないのだが。ふみつきがチトセに特別な感情を持っているは、ふみつきの顔を見れば一目瞭然だった。

「わ、私は、その〜」

 何とか言い訳をしようとするふみつきだが、どうにもこうにも言葉がでなかった。二人にしてみれば、あのふみつきがそんな態度をする事自体が事実を認めているに等しい。

「あ、噂をすれば何とやら、ほら」
「あれ? どこ行くんだろ、もうすぐチャイムも鳴るのに」
「えっ」

 二人が指差す方を見ると、確かに噂のチトセが教室を出て行こうとするところだった。
 ふみつきは毅然と立ち上がると、二人には何も言わずすたすたと一直線に仁歳チトセに向かって行ってしまった。

「大変だね〜、ふみつきも」
「まったく。恋は盲目って奴ですかね〜」

 その場に残された二人はあきれ半分、どこまでも真っ直ぐなふみつきへの羨望半分といった様子で呟くのだった。


「どこ行くの、仁歳チトセ君」

 廊下に出た所で、チトセの目の前にふみつきが回りこんできた。目を怒らせ、ここからは一歩も通さないとでも言わんばかりに手を広げる。

「げっ」
「げっ、とは何よ、げっ、とは」

 正直といえば正直すぎるチトセの反応に、ふみつきがさらに目を怒らせる。

「いいから、放っておけよ」
「放っておけるわけ無いでしょう、委員長なんだから」
「はぁ……、便所。便所だよ」

 チトセは心底うんざりだと言わんばかりな投げ遣りな口調でそう言うと、ふみつきを押しのけて前に進もうとした。
「ふ〜ん、荷物を持って?」

 もっとも、厳格で実直な委員長のふみつきが、チトセが右肩にかけているディバックを見逃すわけがなかった。

「ぎくっ、いや、これは、その〜、あっそうだ、腹が痛くて、早退」
「そういう時は、まず保健室に行くべきでしょう」
「ほ、ほけんしつ……」

 ふみつきが、保健室という言葉を出した途端チトセの表情が明らかに強張る。

「そうよ、ほら、行くわよ」

 ふみつきは、チトセの右手首を掴んで歩き出す。ちなみに、ふみつきの頬はそれだけでしっかりと赤くなっているのだがチトセはそれ所ではなかった。

「い、いやあ、それはちょっと」

 日頃のチトセとは違い、どうにも歯切れが悪い。

「なぁ〜〜に、それとも保健室にはいけない用事でもあるのかしら?」
「そ、それは、その〜。……頼む、委員長」

 じと目で追求をするふみつきに、観念したのかいきなりチトセは土下座でもせんばかりに頭を下げた。

「な、何よ、いきなり頭なんか下げて」
「この通りだ、今日だけは見逃してくれねえか、頼むよ。この通り、な」
「……ねぇ、チトセ君」

 一瞬の逡巡の後、ふみつきは意を決したように口を開く。

「なんだ」
「それって、先生にもいえない事なの?」

 ふみつきはあえて「先生」の言葉を強めて言った。  ふみつきにとって、この「先生」というのはひどく意味のある問いだった。ふみつきは、この年頃の女性にしてはひどく恋愛事には疎い方だが、それでもチトセが幾人かの先生と何らかの関係がある事を見抜けないほど抜けてはいない。

「せ、先生は、困る。それだけは、頼む、委員長」

 案の定、チトセの表情はさらに強張る。

「………わかったわよ」

 ふみつきは、チトセの強張った顔を見て一応話を引っ込めた。少なくても、これ以上この話を追求すればチトセの態度が硬化する事を彼女は経験から嫌というほど知っていた。今は餌に食いついたことを確認できただけで満足するしかない。

「ほ、本当か、委員長。恩にきるよ」
「ただし……」

 ふみつきがにやりと笑った。どうにも、真面目を地でいくふみつきには似合わない笑みだったが、それだけにチトセに嫌な予感を感じさせるには十分な笑みだった。



 平日の昼間ということもあり、バスの中は空いていた。しかも、そのバスが駅前の中心街に行く路線ではなく、郊外に出て行くものであればなおさらだった。

「はぁ〜〜〜〜〜〜〜」

 チトセは、バスの後部座席に座るなり、大きくため息をついた。

「なぁんで、そこで溜息をつくのよ」

 しっかりとその隣に座ったふみつきが目を怒らせた。
 あの後、ふみつきは交換条件として一緒についていく事を提案したのだ。無論、チトセは頑として拒んだのだが、では担任の一文字先生に早退の事を告げると言われると最終的にはしぶしぶながら条件を飲まない訳にはいかなかった。

「いいのかよ、委員長が学校サボって」
 せいぜいこの程度の皮肉を言うのが、今のチトセに残された足掻きだった。

「な、なに言ってんのよ。これも、それも仁歳君のせいでしょうが」

 チトセの言葉に、ふみつきは顔を赤らめて答えた。
 正直な話、ふみつき自身自分の行動に戸惑いと驚きを覚えていた。無論、ふみつきにとって早退などこれが始めての経験だった。自分にこれだけの行動力があるとは思ってもいなかった。

「別についてきてくれ、何て一言も言ってねえだろ」
「あのねぇ、委員長として理由も言わず早退しようとしているクラスメイトを放っておけるわけないでしょ」
「はいはい、わかってますよ」

 チトセは、もう何を言っても無駄だと判断したのかふみつきから窓の外の移り変わる景色に視線を移した。

「も〜〜、本当にわかってるの。……でも、このバスどこまで行くの?」
「もう少し、かかるよ」

 1時間ほど走りバスは住宅街を抜け、住宅より緑が目立つようになってきてチトセはやっとバスから降りた。

「ちょっと、待ってろよ」
「えっ、ちょっと、まって」

 ふみつきが止める間もなく、チトセは目に付いた小さな商店街に消えて行ってしまった。

「はぁ〜〜〜〜、どうしてこうなったのかしら」

 ふみつきは、建物の壁に寄りかかってそう一人呟いた。
 ふみつきの理性は先ほどから危険を知らせていた。もし生徒指導員にでも見つかれば学校にまで連絡がいき、面倒な事になるのは疑いの余地はない。 その一方、ふみつきは自分の中で例えようもない好奇心が疼いてもいた。
 小学生の頃、男子の友達に特別に近くの神社の奥に作った秘密基地を見せてもらった時の感じをふみつきは思い出していた。その時は、神主の老人に見つかり、小一時間の説教と引き換えに少なからずの冒険心を満たし、忘れえぬ思い出と得ていた。
 もっとも、今回がそれだけで済んでくれるとはさすがにふみつきにも思えなかったのだが、同時に引き返す気にもどうしてもなれない彼女であった。
 じりじりと時間が過ぎふみつきがしびれをきらしかけチトセを探しに行こうか考え始めた時、聞きなれた声がふみつきにかけられた。

「う〜し、じゃあ行くか」
「おそっ、えっえっ」

 文句の一つでも言ってやろうとチトセの声に振り向いた瞬間、ふみつきの顔は綺麗に真っ赤に染まった。

「何だよ、変な声出して」
「そ、それ、花束よね」

 ふみつきが、震える指で指し示すチトセの右手のは花束が握られていた。
 ちなみに、その花束は菊やら百合やらを新聞紙で巻いた物で色気の一つもあったものではないのだが、ふみつきの目にはそこまで入っては来なかった。
 ただ、あの仁歳チトセが花束を持って自分の目の前に立っている。それだけが、ふみつきに見えた全てだった。

「そうだけど、何だよ?」

 ふみつきの動揺などどこ吹く風といった様子で、チトセは事も無げに答える。

「あ、あの、私、その、心の準備っていうか、その、告白とかは、その、あのね」

 あのチトセ君が目の前で花束を持ってこちらを向いて立っている。しかも、今は二人きり。それだけで、ふみつきの少女漫画風の妄想はあらぬ方向に飛び。心臓は早鐘のように打ち鳴らされていた。

「……はぁ、何言ってんの、委員長。ほら、先を急ぐぞ」

 だが、チトセはそんなふみつきを様子を一顧だにせず憎らしいほど冷静に歩を進めた。ふみつきが我に返ったときには二人の間にはそれなりの距離が出来ていた。

「え、え。ちょっ、ちょっと待ってよ、仁歳君」

 仕方なくふみつきも妄想をその場に残して、先行しているチトセに肩を並べるために歩を早めたのだった。


 都市部から近い住宅街を抜ければ、そこには田舎といってもおかしくない風景がそのまま残されていた。
 まばらな民家、統一感のない畑や田んぼがあちらこちらに広がっている。ふみつきは、自分の見知った街をたかがバスで1時間ほど離れただけでこんな風景が広がっているいう事実に驚きを覚えていた。
 そこを、チトセは迷いの無い足取りで歩を進めていく。ふみつきとしては、それを信じてついていくしかなかったわけだが、それでも心細さはいなめなかった。
 それもあってふみつきは、少しでも心細さを紛らわせるために何かとチトセに話し掛け続けたが、等のチトセは前にも増して心ここにあらずといって風情で、生返事を返すだけだった。

(なんなのよ、もう〜〜)

 そんなふみつきの我慢の限界まで後少しというところでふいにチトセが足を止めた。

「仁歳君、目的地ってここなの?」
「……そうだよ」

 二人は歴史と格式を感じさせる寺の門の前に立っていた。チトセは、そのまま揺るぎのない足取りで寺の敷地内に入っていく。ふみつきはお寺とはいえ見知らぬ敷地内に入る事に躊躇いを感じたが、そのままチトセに付いて行くしかなかった。

「……綺麗な所ね」

 門を抜けた境内は、時代と格式を感じさせる寺を中心に綺麗に整備された木々と丁寧に掃き清められた墓地が広がっていた。さすがに平日の昼間という事もあってから人影は見えなかったが、線香の独特の匂いが漂っていた。

「あっ、ほらほら。四十雀」

 不安を押し潰すようにふみつきはチトセに何やかやと話かけるが、やはりチトセはふみつきの方を見ようともしなかった。

「もう。何とか言いなさいよね」
「はいはい。綺麗綺麗」
「む〜〜〜〜〜〜〜」

 あまりといえばあまりに投げやりな返事に何とか言い返してやろうと思うのだが、横を歩くチトセの表情がこのお寺に入ってから普段のどこか全てに投げやりな感じではなく、真摯なものに変わっているように思えて、ふみつきは結局何も言えず不満に頬を膨らませる事しか出来なかった。

「……到着」

 そしてチトセは、周囲をよく育った雑草に囲まれて荒れ果てたお墓の前で止まる。
 誰のお墓なのか、ふみつきにも見なくてもわかった。それでも、ふみつきは何も言わず墓石を見た。チトセの顔を見たくなかったから。

 『仁歳家ノ墓』

 汚れた石に深く刻まれたただ一つの事実、それは普段なら意識の欠片にも引っかからない明確な事実をふみつきに思い出させた。
 転校生であるチトセの両親がすでになくなっている事を知ったのは何時誰の口から知らされたのか、正直ふみつきは覚えていない。少なくても担任の一文字先生も当の本人であるチトセも一言も言わなかった。だが、その事実は何時の間にかクラスの全員の知れ渡っていた。
 その事を知らされたふみつきは、そういった事は紙にたらした水のように必ずじわじわと広がって行くものだと、友達に言われて憤慨した覚えがあった。
 誰にだって、隠しておきたい事の一つや二つあるのが当然だと、ふみつきは思う。それをしたり顔で知られて当然だと断言されるのは、ふみつきには納得がいかなかった。

「さて、水汲んでこないとなぁ。久しぶりだから、草も取ってやらないと」

 背伸びをして、明るくチトセは誰にともなく言った。それは、少なくても自分に向けられたものではないとふみつきは感じた。

「あ、あの、私、水汲んでくるね」
「わかるのか?」
「そういうのは、本堂の近くにあるものなのよ」

 ふみつきにもたいして確信があったわけではなかったが、何かしらチトセの手伝いをしたかった。

「じゃあ頼むわ」
「うん」

 珍しく素直に頷いたチトセに、ふみつきは笑顔で頷いたのだった。
 長い間放置されたお墓を綺麗に掃除するのは、それなりの時間と労力が必要だった。
 周りに生えた雑草は思った以上にしっかりと根をおろしていたし、墓石についた汚れは生来の模様であるかのように、なかなか落ちてはくれなかった。 それでも、三十分も働いた結果、雑草は角で山になり、花を飾られたお墓は見られるようになった。

「あ、のさ、委員長」
「な、なに?」

 煙を立たせる線香を供え、お墓に手を合わせながらチトセは目を開けずにふみつきに話しかけた。

「ちょっと、外してくれねェか。頼むよ」
「そ、そうね。じゃあ、三時になったら戻ってくるから。それでいい?」

 ふみつきは一人立ちあがり、腕時計を見た。時計の長針と短針は、二時四十分をいくらか越えてた所で止まっていた。

「あぁ、悪い」
「いいわよ、そのくらい。じゃあ」
 ふみつきは、小走りでその場から離れた。一緒にいたいという気持ちはあったけれど一人にさせてあげるべきだという気持ちの方が強かった。それでも、一度だけ振り返るという誘惑にだけは勝てなかった。

(一度だけ、一度だけだから)

 そう念仏のように唱えながら、肩越しに後ろに視線をふみつきはやった。
 チトセは、墓石の前に立ちあがっていた、それだけだった。だから、ふみつきは自分がチトセの視界から完全に消える所まで行くまでもう振り返らなかった。


 ふみつきが自分の視界から消えた事を一度確認して、チトセは困ったように頭を掻いた。そして、ゆっくりと口を開いた。

「……母さん、父さん。久しぶり。……あ〜〜〜、何て言ったらいいのかな」

 一度、チトセはそこで言葉を止めた。自分の身に起きたあまりに不条理で馬鹿馬鹿しい事態をどのように話したらいいのか単純にわからなかった。

「・・・・まあ、うん。元気にやってるよ。あぁ、違うな。うん、何て言うか言い難いだけどさ。俺に何故か、マ、ママが五人出来たんだ」

 かなりの逡巡ののちチトセはそう言葉を切った。結局、最初の最初から話さなければどうにもならなかった。
 チトセは今でも「ママ」という言葉を口にすることには抵抗を持っていた。それでも、もしあの五人に「お母さん」と言ってくれと言われていたら、きっと今以上の抵抗を感じていただろうとも思う。
 そこには、単純な単語の違い以上の何かがあるようにチトセには思えるのだった。

「……そう言っても、混乱するよな。正直、俺自身混乱してるんだから」

 チトセは困った様に頭を抱えた。

「しかも、その人達は俺の学校の先生でもあるわけで……。自分で言ってても馬鹿らしいんだけど、まあ事実な訳で……」

 あの日、担任の一文字むつき先生の「私が、あなたのママになってあげます」の一言で全てが始まったのだ。

「で、まあ、そのママ達のおかげでまあ退屈だけはしないかな。何だかよくわからんが、とにかく元気だから、あのママ達は」

 チトセは初めてあの家に入ったときの感触を忘れた事は無い。
 玄関を開けた瞬間鼻をついた充満する埃とかび臭い匂い、まるで時間と共に沈殿した澱のようになった空気。そして、それ以上に暖かさも寒さも感じれない肌を無機質に撫でる感触。
  死んだような家、いや、死んだ家だった。それが今では、(認めるのは嫌だが)ママ達のおかげで随分と賑やかな家になった。

「一つ行事があれば、人の迷惑顧みず突っ走るわ。気がついた時には、家改造してるし、祈祷とかいって塩の塊に一晩押し込められるわ。練習と称して関節技をかけるわ……」

 当初はどこか楽しげだったチトセの口調だったが、言葉を続けるにつれ徐々に小さくなり、最後の方になると体が小刻みに震え始めていた。震えを押さえ込むように、ぐっと両拳を握り締めた。そして、

「ぐぁぁぁっぁぁぁぁっぁ。自分で言っててむかついてくるわ。俺の、俺の家だぞ。何で俺がリビングで生活しなきゃならね〜〜〜んだ。学校では毎日毎日、秘密が漏れないように注意して生活しなきゃなんね〜〜〜し」

 静かな境内ににチトセの怒号が轟いた。

「……はぁはぁはぁはぁ。……まぁ、大丈夫だよ。……多分。なんやかんや言ってもあのママ達もいるしな」

 荒れた息を整えて、チトセはそう諦めたように呟く。
 端から見れば、それは聞く人もいない独り言に過ぎないのかもしれなかった。けれど、チトセは自分の中のもやもやとしたものがあるべき場所に収まったような安堵感を覚えた。
 チトセは黙って、墓石を見た。何となくその先で両親が笑ってくれているようなそんな気がして、右手で墓石のひんやりとした表面を撫でた。

「……チトセ君」
「でぇぇぇぇえぇ」

 遠慮がちに掛けられた声に、チトセの体が地面から五六センチほど飛びあがる。ゆっくりと振り向くとそこには当然ふみつきが立っていた。

「い、い、委員長。い、いつからそこに?」

  顔は引き攣り、いや〜な汗が背中に止まらず全身から這い出してきた。

「えっ、いつからって三時になったから」

 そんなチトセの様子に戸惑ったようにふみつきが、腕時計を差しながら答える。

「あ、そう、はぁ〜〜〜〜」

 胃の腑の奥の奥から長く深い溜息がチトセの口から安堵と共に吐き出された。そのただ戸惑ったようにこちらを見ているふみつきの様子にチトセは人知れず胸を撫で下ろした。
 担任を始め、まさか校内の五人もの妙齢の女性教員が自分のママと称して一所に暮らしているなど言える訳がない。ましてや、相手は堅物で有名の学級委員様だ、それこそ知れたらどうなる事かなどと、チトセとしては想像もしたくない事態だった。

「何、その溜息?」
「い、いや、その、何でもねぇよ。はははははは」
「……怪しい」

 ふみつきの眼鏡のしたの目がきらりと光る。

「さ、さて、帰るか〜」
「あ、あのね。仁歳君」

 これ以上突っ込まれるのは勘弁して欲しいチトセがわざとらしく背中を向けて歩き出す。今度はふみつきが俯くと言いずらそうに呟いた。

「何だよ?」
「先、行っててくれる」
「はぁ、何言ってるんだ、委員長?」
「いいから、ほら。先行っててってばぁ」

 困惑気味に答えるチトセに、ふみつきが無理矢理背中を押してその場から遠ざけようとする。

「わ、わかったよ」

 そう言いながらも納得してない様子のチトセは、幾度も幾度もその場に残ったふみつきの方を振り返りながらゆっくりとその場を離れた。
 ふみつきは、まるで先生に怒られた小学生のようにぴしっと背中を伸ばして、緊張した様子でお墓を見つめていた。

「あ、あのう、私。仁歳君と同じクラスで委員長やらせて頂いてる七転ふみつきと言います。仁歳君の事、ご心配でしょうが。わ、わたしが……、その……」

 そこまで言って、ふみつきは言いよどんだ。

「あ、あの、その、く、クラスのい、委員長として責任を持って仁歳君の事面倒を見ますから安心してください」

 深深ともう一度頭を下げて、ふみつきは先に行ったチトセを追いかける為に走り出した。

(……今は、これでいいわよね。今は)

 今は、という事をふみつきは高鳴る動悸を感じながら自分に言い聞かせるように何度も何度もそう念じていた。


 帰りのバスは行きのバスに比べると、幾らか混み合っていた。それでも、ふみつきとチトセは行きと同じように後部座席に席を確保することができた。

「ねぇ、仁歳君のご両親ってどんな方だったの?」
「どんなって言われてもなぁ。正直、あんまり覚えてねぇし」

 チトセの両親が亡くなったのは、まだチトセが幼稚園に入学したぐらいの頃だった。チトセにも記憶がないわけではないが、明確に両親の姿を思い出せるほど鮮明と言うわけでもなかった。

「でも、少しぐらい覚えてるでしょう?」
「……まぁ、普通の両親だったんじゃないか?」

 何とか記憶をほじりかえしてみるが、結局チトセはそれぐらいの事しか言えなかった。

「じゃあ、きっと優しい方達だったんだ」

 だが、ふみつきは、チトセの言葉に我が意をえたと言わんばかりにそう断言してみせた。
「何で、そんな事わかるんだよ」
「だって、普通の親って優しいものだもの」
「……わかんねぇよ」

 チトセにはわからない。普通の家族がどういったものなのか、昔、頭の底にある記憶がそうだと言われればそうなのかもしれない。でも、チトセにはそう思うこともできなかった。
 記憶は今、刻一刻と薄れていっているのだから。

「きっと、そうよ」

 ふみつきは、断言する。何の迷いもなく。そこには疑いの余地はなかった。なんとなくチトセは、そんなふみつきのまっすぐな顔を見ていられなくて顔をそらした。

「ねぇ、そういえば、なんで今日早退したわけ?」

 不意に、今気がついたと言わんばかりにふみつきは素朴な疑問を発した。

「……今日は両親の命日なんだよ」
「そうじゃなくて、だったら始めから学校休めばいいじゃない」
「そんな事したら、どんな騒ぎにされるかわかんねェからなぁ」

 チトセは、とにかくどんな行事でもとんでもないお祭り事に変えてしまう五人のママを思い浮かべて苦笑を漏らした。
 だが、それまで穏やかだったふみつきの表情がその一言で一変した。

「騒ぎ? なにそれ、チトセ君、一人暮しのはずじゃないかったの?」
「い。いや、その、あははっはっははは。別にいいだろ、委員長。そんな細かい事」

 それまで、どこか遠くを見るような目をしていたチトセの両目が自分の失態に気づいた焦りで揺れる。

「細かくない。それに、みょ〜に先生にばれるの怖がってたし」
「そ、早退するのが、ばれるのを恐れるのは、と、とうぜんじゃないか」

 チトセは、背中をいや〜な汗が流れ落ちて行く。周りを見渡した所で込み始めた車内に逃げ場などあるはずもなかった。

「……あやしい」

 この後、チトセはバスが停留所につくまでの間、逃げ場もなくふみつきの追求を受け続ける事になるのだった。



 チトセは家近くのバス停まで、あと横断歩道一つという所で席を立った。

「……じゃあ、なぁ」
「うん」
「あぁ、委員長」

 不意にチトセは頭だけ振り向いた。

「何?」
「あ、あのよ、今日はありがとう、な」

 チトセは、あさっての方向を見ながらそう呟くように言った。

「な、なによ、突然。委員長として当然の事よ」

(どうして、もっと気の利いた事言えないのよ)

 ふみつきは目の前のチトセを見ながら思うが、顔を赤らめて答えるふみつきの返答も似たりよったりといった所だろう。

「そうか、じゃあな」

 ふみつきの言葉に、チトセはどこかほっとしたようだった。

「う、うん」

 バスが停留所につき、チトセはバスを降りる。それが、ふみつきの小さな冒険が終わった瞬間だった。



「……ただいま」

 チトセが玄関を開けて見たのは、たいして長くもない廊下を見えるはずのない土ぼこりをあげてこちらに突っ込んでくる女性だった。

「こら〜〜〜〜、チトセ〜〜」
「ぐぇぇぇぇっぇぇぇぇ」

 チトセの首を女性のラリアットがみごとに捕らえた。その瞬間、チトセの体はみごとに一回転しチトセは玄関にしたたかに打ちすえられた。

「学校を無断早退するってのは、どういう事だ」

 体育教師にして五人のママの一人、五箇条さつきがチトセに指を突きつけて怒鳴る。

「……げっほげっほ、悪かったよ。でも、ラリアットする必要はねぇだろが」
「そうだ〜〜よ。今日は久しぶりに美術の授業があったから、新作コスのモデルしてもらうつもりだったのに〜〜〜」

 さつきの脇からひょっこりと四天王うづきが顔を出し、口をかわいらしく尖らせた。
 背が低く、高校生にたびたび見間違われるほど幼く見えるさつきだが、一応美術教師にしてママの一人である。

駄目よ〜、チトセ君。気分が悪い時は保健室にこないと、しっかりと祈祷してあげるのに」

 三世院やよいが困ったようにそう呟く。  こちらはうづきとは違い。保健教員として大人の女性の色気を出しているのだが、何故か右手に日本刀が握られている。ちなみに、届出をしていない為れっきとした銃刀法違反である。

「チトセさんが、チトセさんが、学校を無断早退するような悪い子だったなんて」

 後ろではメイド服姿の一文字むつきが右目に涙を溜めていた。チトセには見えないがむつきの右手には蓋の開いた目薬が握られている。
 ちなみに、古典教師にしてクラス担任のむつきママこそが、この摩訶不思議な状況を作り出した元凶といば元凶である。

「……おしおき君Ver1.23。準備完了です」

 玄関の天井に穴が開き、何故か逆さの状態で何故か灰色の白衣を着た科学教師にしてママの二の舞きさらぎがするすると蝙蝠のごとく現れる。その手には、「Ver1.23」と書かれた物々しいハンマーが握られていた。

「……と、とにかく、今日は用事あったんだ。それだけ」

 五人のママ達の追及に内心滂沱の冷や汗を流しつつチトセはそれだけ言うと、五人を押しのけてこの家でただ一つ残された自分のスペースであるリビングに逃げ込もうとした。

「チトセさん」
「何だよ」

 むつきの問い掛けに、チトセは振り返らず答えた。

「……ちゃんと、今度は皆で行きましょうね」
「なっ」

 虚をつかれてチトセが振り向くと、やさしい笑みを浮べて五人がチトセを見ていた。

「そうだぞ、まったく水臭いんだよ、お前は」
「こういった事は、しっかりしないとね」
「私も自慢のコス見せるんだから」
「……御挨拶はちゃんとしないといけません」

 次々に他の四人も言葉を継いでいく。

「な、なんで知ってんだ」

 ママ達にばれないようにわざわざ学校を早退して、ふみつきの要求を飲んでまでばれないようにしたつもりのチトセは眼を見開き、驚愕に体をわななかせた。

「……今朝、様子が変でしたので。偵察君Ver1.23を」

 きさらぎが無表情で右手にバッジのような物を取り出してさも当然そうに答える。
 チトセは、へにゃりと情けない笑みを浮べた。何だか、泣けそうだなと思ったらかえって自分が情けなくて笑えてしまった。

「あ、あのう、チトセさん」

 その場を代表するように、むつきが放心状態のチトセに心配そうに声をかけた。
 チトセは、五対の何かを期待するような視線を背中に嫌というほど感じていた。チトセは溜息を一つつく。そして、少しばかり顔を赤らめると、あえて目の前の五人のママ達から目をそらした。

「むつきママ」
「はい」
「……じゃあ、うまい弁当でも頼むよ。あそこけっこう遠いから」
「は、はい」

 五人全員の顔がほころぶ。
 チトセは、それ以上は何も言わず居間のベッド代わりのソファに寝そべる。後ろでは何やら五人が言い争っている声が聞こえる。
 チトセは覚悟を決めた。きっとめちゃくちゃな事になるに違いない、きっと普通の家族のようにはいかないだろうと。

「チトセさん、おいし〜いお弁当つくりますからね」
「頼むよ」

 ママたちの幸せなそうな声が聞けるなら、それでもいいじゃないかと、チトセは思う。


 ……ちなみに後日、チトセはこの覚悟を嫌というほど後悔することになる。

「いいかげんにしろーーーーー。俺のまっとうな生活を返せーー」

 ゴキィィィ

「……我が侭防止装置Ver.3.24です」
「だから、ただのハンマーだろ、それ」
「……そうとも言います」
「さあ、チトセさん。行きますよ」
「うぅぅぅ、俺の、俺の生活がーーーーー」

 ……ちゃんちゃん。      

                                                               HAPPY END?  



 後書き、というか見苦しい言い訳です

 ども、高野浩平と言います。一応、火魅子伝同盟の方にいくつかSSを出させて頂いてるので知ってらっしゃる方もいるのではないでしょうか。
 で、まあ、それはいいんですが。今回は我ながら何をとち狂ったのか、全然方向性の違う『HAPPY LESSON』という物でSSを書かせていただきました。
 出来あがったのがこれです。書いといてなんですが『HAPPY LESSON』のファンの方が読まれたら怒られそうなのになってしまいました。メインのママさん達の出番は笑ってしまうほどの少なさ。しかも、ラブもコメもほとんどない。
 いいのか、こんなんで俺って感じでしょうか?
 また、元ネタさんはアニメなんですが。地方各局の幾つかでやってるだけみたいでして、どうにも元ネタそのものを知らない方が多いんじゃないかと。んで、今回はできるだけ、説明文を書いてみました。
 ちなみに本来は雑誌の企画なんだそうですが。そっちの方は私がまったく知りません。また、ゲームもあるそうです。しかも、設定等が違うそうです。お兄さんがいて両親も亡くなっておらず、何故か主人公一人置いて失踪状態だそうです。


 私は、その事実をこのSSを9割がた書き終わるまでまったく知りませんでした。


 ……いいんでしょうか?(泣)  と、まぁ、各種様々な問題を抱えたSSです。でもまあ、そうは言っても、よく考えてみれば、元ネタ知らないSSって普通読みませんよね(正直、私はほとんど読みません)。
 あまり、知ってる人がいないことを祈るのみです。
 まあ、話そのものはありがちで個性の欠片もない模倣100%な話なので(元ネタの設定はぶっ飛んでますが)、そんなに違和感はないかぁ〜っと。でも、駄目かな〜。駄目かも(笑)
 話が変わりますが、雁山さんの書かれたレビューによると、会話文の間は一行改行するのが礼儀らしいのですが……。すみません。それをすると文章が間延びするような気がして(本当に気だけだと思うんですが)しませんでした。読みにくくてすみません。
 謝る事だらけですが。苦情、意見、感想とかは幾らでも待ってますんでよければ書いてください。
 では、また〜。

 PS タイトルは某小説から勝手に頂いております。わかる方だけ、不埒な私を怒ってください(笑)。


  うちのHPに再掲載するにあたってのあとがき

 ども、その場しのぎです(苦笑
 一応、「HAPPY LESSON」の新作アニメが、後にADVANCEという某ゲーム機みたいな文句をつけて再放送したのを祝して再掲載なんですけど・・・・・・・・
 その実、その場しのぎです。  「火魅子伝」の新作SSを待って下さってる数名の皆さんごめんさい。もうちょい待ってくださいませ。
 何とかしますんで 、はい。